その1 昭和
浜松まつり。私は、子供会の付き添いで凧揚げやら屋台の引き回しやらに参加した。地元でない私にとって、町内のこどもらと三日間の時間を共有するのは、なかなかに貴重なことだった。
「おじさんがこどものとき、戦争だった?」
・・・無邪気で素直で素朴なことは、眼を見れば分かるだけに、私は苦笑いするしかない。
「いや、もう戦争は終わっていた。」しかし、・・・数えてみれば、私が生まれたのは、わずか16年しか経っていないときだったんだなあ。ベトナム戦争のニュースは、ラジオから流れていたように思う。
「じゃあ、おじさんがこどものとき、テレビあった?」
・・・「ああ、あったよ。だけど、白黒だ。足が生えていたよ。カラーテレビが来たのは、ちょうど君らの年のころだ。ホント、感動したな。」
「ハイビジョンくらい?」
「全然、ラベルが違うな。総天然色だぞ。」
「なにそれ」
うーん、この子ら、平成生まれどころではない。21世紀生まれだわ。
その2 テレパシー
小4のわが子が、朝、近所の子らと一緒に学校へ通う。私は、それを見送る。
「こーちゃあん、○×○×よー」と、隣のお母さんが勝手口のところで、忘れ物か何かのことを言っている。
「あ、もう行っちゃいましたよー」と、姿の見えない隣のお母さんに、私は告げる。
「すませえん」・・・バタリ。扉が閉まる。
・・・ あれ、こーちゃん、戻ってきた。まさか、お母さんの声、聞こえてないでしょ。
おおお、親子のテレパシーだー。
その3 伝える意味
二年前だったか。浜松で、里親の会の全国研修会があって、これに参加した。
初めての試みと紹介されて、里親宅で育った子らが壇上のパネラーとなってディスカッションが行われた。みんな明るくて、素直で、私の心は温かくなった。
その中で、就職活動の経験を報告した人がいた。
「面接まで行きましたが、結果は不採用でした。わざわざその理由を説明してくれたのですが、私の家庭環境つまり私が実親に育てられていないことが問題だとのことでした。私を採用しないことは、その会社の自由ですが、私が養護施設に入ったり里親に育てられたことは、私にとって、どうにもしようのないことです。私の努力によって措置がされなかったということはないのです。そういう理由で私を採用しないことにしたとしても、それを私に説明する意味があったのでしょうか。もちろん、そんな会社、こちらからお断りですが。」
私は、震えが止まらなかった。
調停人候補者 榛葉隆雄
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