冬は、波と風が厳しい遠州灘であるが、今日ばかりは大変穏やかに僕を受け入れてくれた。しかしながら、こっちを立てればあっちが立たず、というわけではないだろうが、東の空には雲がかかり、赤味が差してきたものの、お天道様は顔を見せてくれない。
まあ、考えて見れば、物ぐさな僕が気まぐれに朝日を拝もうとしても、そんなに都合よく太陽のきれいな顔を見せてくれるほど自然は甘くないということなのかもしれない。
まあ、考えて見れば、物ぐさな僕が気まぐれに朝日を拝もうとしても、そんなに都合よく太陽のきれいな顔を見せてくれるほど自然は甘くないということなのかもしれない。
僕たちの暮らす社会も同じような事が言えるのかもしれない。物事を達成したり喜びを味わうためには、その瞬間に使うエネルギーの何倍、いやも何十倍もの努力が必要なのかもしれない。また、そうした努力だけでは足りず、運やタイミングであったり人との出会いという偶然が重なって、初めて物事が成就するということだってあり得る。もっとも、こうした偶然を引き寄せる原動力も不断の努力の結果として「実力」という単語で評価されることもあるほどだから、「努力は報われる」と信じて努力を重ねるしかないのであろう。
「この年になって、そこまでの悲壮感を背負うのは些か辛いものがあるなあ」などと考えていたところ、太陽が雲の間からほんの少しだけ顔を出して僕の顔を照らしてくれた。そうか、こういうこともあるのだ、運が先に来ることもあるのだ。僕は少しだけ気持ちが楽になった。
調停人候補者 古 橋 清 二
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