2016年1月22日金曜日

肩狐狸庵ICHIの「時の過ぎゆくままに」


私の庵(事務所)は、静岡県東部の中核都市、

富士市の閑静な住宅街の端にある。

 

すこし遠くへ足を延ばそうと考えるとき

最近必ず確認するのが「外務省 海外安全

ホームページ」というサイトだ。


 

 

 

各国の安全情報をレベル1から4まで、

色別に表示している。

レベル1で「十分注意してください。」

レベル2で「不要不急の渡航は止めてください。」

レベル3、4で「渡航中止勧告」「退避勧告」となる。

 

また国の地図に塗られる色も黄色から

次第に濃くなり、最後は真っ赤となる。

 

そんな訳で今回は黄色1色の国に流れ着いた…

 

それにしても一体どこで歴史は間違って

しまったのか?


 



 

2003年にアメリカが「イラクの自由作戦」を

開始しなければよかったのか?

 

2001年のアルカイダによる「同時多発テロ」を

未然に防ぐことが出来たならばよかったのか?

 

それともそもそも、1978年のソビエト連邦に

よるアフガニスタンへの軍事介入まで

遡らなければならないのか…

 

などと過去の過ちを見返しても、

決して時は戻らない。
 

 



 

第2次世界大戦下、カサブランカの

「カフェ・アメリカン」で

「As Time Goes By」を聴きながら、

パリでの甘い恋人時代に思いを馳せても

淀んだ時の流れに飲み込まれるだけだ。

 

気ままな旅も、毎回毎回危険情報のチェックを

余儀なくされるうえ、かの組織に属する、

または感化された人々によるテロにより、

次第に無色の国や地域が減っていく現実に、

つい時間を戻したくなる衝動にも駆られる。
 

 



 

こんな対立構造の中で、ADRは有効なのだろうか?

 

私のイニシャルと同じかの組織(国?)は

そのテーブルについてくれるのだろうか?

 

テーブルにつけば、7~8割の紛争は解決する
というふらっとの「事件管理者」の手腕に期待をする。

2016年1月6日水曜日

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。

今年、ふらっとは正念場の年となります。
昨年は申立てが5件。まだまだ目標値にはほど遠いです。
いろいろな途を検討している中で、平成28年度は大きな分岐点となります。

そこで自分への戒めとして、この言葉を記したいと思います。

「コミュニケーションは受け手に100%権利がある」

これは、キリンビールの偉い人が言っていた言葉です。
営業担当が顧客にとってベストと思ってする営業もどう受け取るかは相手が決めること、
ということです。

ふらっとの広報もこちらがユーザーにとってベストと思ってやっても、それはユーザーには
全く届いてないかも。 だって、受け手に100%権利があるから。

当然のことと言えばそうなんだけど、でも難しい。
やはりここに尽きるんですよね。

正念場 そこを耐えたら 突破っス  (^O^)/

事務長 佐藤麻妃

2015年12月30日水曜日

相続に関する司法書士の業務


 

司法書士は、相続に関する様々な業務を取り扱っています。

中でも最も多い依頼は、不動産の所有者が亡くなられたことをきっかけに、その相続人への名義変更、すなわち相続による所有権移転登記の依頼ですが、司法書士の相続に関する業務は、それだけではありません。

遺産の分割について当事者間で合意できない場合の調停申立書の作成、また、自筆証書遺言が作成されていた場合の検認申立書の作成、あるいは、相続人が多額の借金を相続してしまうことを回避するための相続放棄申述書の作成、そして、相続人に該当する方がいない場合には、相続財産管理人の選任申立書を作成したり、また、裁判所から選任されて相続財産管理人に就任することもあります。

人の死という最後の場面において、遺された相続人や財産に関して利害関係を有する方のために、司法書士ができることは、多数あるのです。

近年は、「終活」などという言葉も流行っていますが、高齢者が自分の死を目前にして、エンディングノートを作成したり、また、相続人間で紛争にならないように遺言書を作成する方が増えているように思います。

互いが生きていれば、相手が思っていること、考えていることがよく理解できなくても、相手方に「どう考えているの?」などと質問して確認することができますが、故人がどのような考えを持っていたのかは、故人が亡くなってしまった後では、直接聞いて確認する術はありません。

だからこそ、遺された人に伝えたい思いがあるのなら、エンディングノートでも、遺言書でも、手紙でも、ビデオレターでもどんな形でもいいから、伝えたい思いを残してあげてください。

ただし、相続財産の分配方法を確実に指定して置きたいなら、遺言書を作成して置く必要があります。

毎年、2月は「相続登記お済ですか月間」として、県内各地の特設会場と各司法書士事務所で、相続登記についての無料相談が開催されていますので、是非ご相談ください。詳しくは司法書士会のホームページをご覧いただくか、司法書士会事務局へ直接お問い合わせください。

 

井上史人

2015年12月18日金曜日

司法書士の専門性は・・・???

 センター長の小澤です。
 少々かたい話で申し訳ありません。
 私は、現在、日本司法書士会連合会の常任理事として、ADRの推進も担当させていただいております。
 そして、全国のADRセンターの担当者の皆様とさまざまな議論をさせていただいております。
 その一つが、司法書士の専門性です。
 つまり、この静岡県司法書士会調停センター「ふらっと」のように司法書士会が主催するセンターにおいては、司法書士の専門性を活かすことが利用者の皆様にとっても良いことは間違いなわけでして、その専門性をどんなものと考えていくべきか・・・という議論であります。
 司法書士には、さまざまな専門性があります。
 不動産登記や商業登記はもちろん、裁判業務や財産管理業務などなど。
 これらの専門性の中から、どの分野に特化していくのがいいのか?ということであります。
全国の皆様からは、さまざまな意見が出ます。
 現時点で多くの意見と思われるのは、「遺産分割による不動産登記」であります。
つまり、なんらかの理由により、相続人間の協議が整わない事件について、司法書士による調停人がそれを解決に導く・・というものです。
 しかし、これにはいくつかのハードルがあります。
 現在、「ふらっと」では、そもそも遺産分割事件が法律上取り扱えないことになっているからです。
全国の多くの司法書士調停センターも同様のハードルをかかえています。
 一方、言うまでもありませんが、利用者のニーズが第一でありますから、いくら司法書士に専門性があったとしてもニーズがなければ意味はありません。
 その点をしっかり認識したうえで、引き続き、議論を重ねていきたいと考えています。

2015年12月17日木曜日

長すぎる前説

私はそれほど話好きな方ではなく、気を使う必要のない人と一緒にいるときは何時間でも黙っていられる方ですが、それでもふと思いついたり思い出したりしたことを話すことはあります。たいしたことではないにしても、とにかくなにか言いたいことを思いついて話し出すわけですが、その「言いたいこと」にたどり着くまでに時間がかかりすぎるとよく夫に言われます。つまり話好きではないといいながら、話し出すと延々と話すことになってしまうのです。そして恐ろしいことに「言いたかったこと」にたどり着く前に何を言いたかったのか忘れてしまうことがあります。これが家族以外の人と話しているときであるとかなり親しい人であっても気まずい思いをします。(認知症の前兆ではないかと不安になることもありますが、何年も前からそうだったんだからと大丈夫だろうというおかしな理屈で自分をなぐさめています)少し後になってから何を言いたかったのか思い出しますが、その時にはもうそれを話すタイミングあるいは気力が失せてしまっていたりします。そういうときにきっちり「言いたいこと」を話し終える根性があるかどうかが、話好きな人間とそうでない人間の違いかな・・
などとのんきに考えていないで、フラットの勉強会でコミュニケーション能力の向上に努めなければ‼
(田ノ上美津子)
  

2015年12月10日木曜日

一輪車

先日、久々に一輪車に乗る機会がありました。いや~、実に何年ぶりでしょう。いやいや、何十年ぶりでしょう。乗れるかどうか不安でしたが、昔取った杵柄というのはすごいものですね。スーッと走り出しました。


一輪車が流行ったのはおてんば娘だった小学生の頃で、当時は朝から晩までこの一輪車に乗って出かけていました。一度乗れるようになれば大したことはないのですが、乗れるようになるまでの苦労は一入で、今でも鮮明に覚えています。


壁のフェンスにしがみつきながらサドルに腰かけ、やっとの思いでペダルを一漕ぎ。するとバランスを崩して地に足がついてしまう。フェンスの三本先に手を伸ばし、勢いに乗ってそこに辿りつく。次は五本先、その次は七本先。目標のフェンスの距離を徐々に伸ばし、身体中の感覚を研ぎ澄ませバランス感覚を身につけていく。そして・・・一輪のタイヤの上に絶妙なバランスを保てるようになったとき、スーッと走り出したのです。


このバランスの掴み方と走り出しって、何かと似ていると思いませんか。私は懐かしの一輪車で風を切りながら、話し合いの場を思い描いていました。当事者の絶妙なパワーバランスと空気感、そして想いのキャッチボールへ繋がる瞬間を皆さんも味わってみませんか。


見城美妃





2015年12月3日木曜日

ヒゲンゴ


非言語コミュニケーション。 

調停人は、当事者の発言以外にも、表情や仕草、醸し出す雰囲気などをよく読み取って、「こうは言っているけど、実際はどのように感じているのかな?」ということを考えたりしています。非言語の部分をまったく考慮しなかったら、きっと上っ面の理解だけで終わってしまいます。 

非言語コミュニケーションは、日常生活でも随所で重要な役割を果たしていますね。


例えば、赤ちゃん。

うちの生後2か月の赤ちゃんは、まさに非言語コミュニケーションのかたまりです。言葉を使わずに、火のついたものや、甘えたものなど、数種類の泣き声を使い分け、時には顔を赤くしたり、手足をばたつかせたりして、その感情を表現します。 

毎日その様子を見ているお母さん(妻)も、僕にはわからない微妙な泣き声の差異を感じ取ります。非言語コミュニケーションの上級者です。 

ついでに言うと、来週5歳になる上の子も、赤ちゃんを可愛く思う気持ちと、注目を奪われて疎ましい気持ちがないまぜになって、非言語でややこしい気持ちを表現してきます。いきなり蹴られたりします。 

うちではいま、非言語コミュニケーションが公用語となっています。
 

例えば、麻雀。 

当然、自分の手を相手に読まれてはいけませんし、逆に、相手の手を読まないといけません。ここでも、非言語が重要になってきます。 

普段饒舌なのに急に無口になったり、普段人の捨て牌を全然気にしていないのに、ある時だけ妙に注意深くなっていたりすれば、テンパイしてるのかな?と思われます。あ、僕のことです。 

上級者と対局すると、ひとつ捨てる毎に、自分の牌の並べ方の癖や、捨てる時の癖、狙う手の癖など、どんどん裸にされていく感覚があり、怖ろしいものです。目に見えない無言のプレッシャーを感じ、ガタガタになります。 

雀荘は、非言語コミュニケーションのトレーニング会場なのです。
 

あなたが気になる非言語コミュニケーションは、なんですか? 

ぜひ、非言語で教えてください。
(青野 雅之)