2017年1月12日木曜日

除夜の鐘


あけましておめでとうございます。

皆さんは、年末年始をいかが過ごされたでしょうか。年末年始の連続休暇も終わり、そろそろ仕事にも調子が出てきた頃ではないでしょうか。

さて、私が年末年始で気になったのが「除夜の鐘」の問題です。皆さんもテレビやネットで話題になったのでご存知だと思いますが、近隣の騒音等の迷惑を考慮して除夜の鐘を撞つかない、あるいは日中に鐘を撞くなどをする寺が出始めているとのことです。

たしかに夜中に鐘を鳴らされれば、その近くに住む人にとってはうるさく感じるかもしれません。私の住む近くの寺の鐘は、戦時中に金属資源の不足を補うため国に供出され、その後も設置されることなく今日を迎えているため、生音で除夜の鐘を聞く機会はありません。

私の近年の大晦日は、家族との夕食時に晩酌をして、しばらくの団欒の後に風呂に入って床に入り、新年のランニングに備えるという生活をしています。家族は夜遅くまで起きていますが、私は紅白歌合戦やその他のテレビ番組にも興味を持てないので早々に床に入ってしまいます。

しかし、私の住む焼津市では、0時を過ぎた年明けと同時に相当数の花火が上るのです。「バン・バン・バン・バン・ババババーン」がしばらく続きます。深く眠りに入っていれば問題はないのですが、たいていの場合には花火で目が覚めてしまうことになるのです。花火を上げるのなら朝でも良さそうなものですが夜中に上げるのです。

まあ、それも年に1回のことであるし、おめでたいことでもあるので、苦情を言うこともなく笑って毎年過ごしているのです。外国では、年明けとともに花火やら爆竹を鳴らして大騒ぎをするところもありますので、文化の違いといえばそれまでです。

除夜の鐘を不快に思う人達には、それぞれ事情があることも理解します。音の問題・参拝者の交通事情や駐車場とマナーの問題など様々な問題が関係しているのかもしれません。

しかし、除夜の鐘は昨日今日始まったことではなく、ずっと永く続いてきた行事であり年に1回のことです。社会の中で共に暮らしていくためには、それぞれが少しずつ我慢して許しあうことも必要になります。ほかの人の多様な面を許す寛容なこころを持てない世の中になったのかと寂しい気持ちになった年末年始でした。
宮内豊文

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