どこまで相手方に踏み込むか?
調停の席についてもらいたい気持ちが強まると、相手方の要望を聞き入れたり相手方の言い分に耳を傾けたりしがちです。
しかし、中立・公平・公正を理念におく「ふらっと」の調停では、ケースマネージャーの相手方への極端な肩入れが調停の進行に思わぬ障害を与える可能性もあります。
「ふらっと」への猜疑心でいっぱいの相手方に対し、その疑問や不安を取り除きながらも一定の距離を保つことが、ケースマネージャーに求められるんです。 (中里)
2014年7月10日木曜日
Win‐Winの順番
Win‐Winは、ふらっとが目指す理想の形です。
話し合いによって、お互いが納得することを意味しています。
話し合いの中では、ついつい自分のWin(納得)を
先に目指してしまいます。
確かに、自分が納得できなくて話し合いをしているのですから
当たり前かもしれません。
WinーWin大切さはわかっているけど、
まずは自分のWinが先。
自分が納得できたら、相手が納得できるように
少しくらい考えてあげてもいいかなという感じですよね。
でも、お互いが自分のWinを優先しているうちは、
平行線のスパイラルからは抜け出すことはできません。
実は、この平行線のスパイラルを抜け出すきっかけが、
相手の心の中に生まれるWinの種なのです。
Winの種とは、相手のことを理解することから生まれる
相手の心の中のスペースです。相手の心にスペースができると
自分の言葉や思いがそこに入り込みます。
すると、相手も自分のことを理解しはじめるのです。
つまり、自分の心の中に相手の言葉や思いを受け止める
スペースを先に作ることと言ってもいいかもしれません。
理解することで理解されるのです。
相手のWinが先、自分のWinが後。
Win‐Winには順番があるのです。
副センター長 名波直紀
2014年7月3日木曜日
ケースマネージャーの悩み②
ファーストコンタクトをどうするか?
一番簡単なのは、申込人が相手方への連絡方法を指定してくれているケース。
しかも、申込人から相手方に「こういう方法でこういうところから連絡が入る」と伝えてくれてあればベスト。
でも、そんな至れり尽くせりの申込人は、そうはいません。
だいたいが、トラブルの相手方にあえて連絡なんてしたくない! と考える方がふつうです。
電話? 手紙? メール?
電話なら携帯でもいいの? 時間帯は?
手紙なら文面は?
それとも会ってみる?
いきなり訪問するのもどうだろう・・・
ケースマネージャーは、相手方の年齢や職業、生活スタイル等に思いを馳せ、効果的なファーストコンタクトを選択しているのです! (中里)
一番簡単なのは、申込人が相手方への連絡方法を指定してくれているケース。
しかも、申込人から相手方に「こういう方法でこういうところから連絡が入る」と伝えてくれてあればベスト。
でも、そんな至れり尽くせりの申込人は、そうはいません。
だいたいが、トラブルの相手方にあえて連絡なんてしたくない! と考える方がふつうです。
電話? 手紙? メール?
電話なら携帯でもいいの? 時間帯は?
手紙なら文面は?
それとも会ってみる?
いきなり訪問するのもどうだろう・・・
ケースマネージャーは、相手方の年齢や職業、生活スタイル等に思いを馳せ、効果的なファーストコンタクトを選択しているのです! (中里)
ケースマネージャーの悩み①
新シリーズを始めることにします。
(前回は中途半端に終わっちゃいました。機会があれば続きを書きますが、一旦終了。ご容赦を!)。
ADRの肝は、「いかに相手方を調停の席に着かせるか」だそうです。
この、合意成立のための重要なファクターを担うのが、ケースマネージャー。
ある日突然、「ふらっと」という得体の知れぬ組織から電話を受けた相手方。
「巷で流行りの詐欺話か?」と警戒しながら話を聞いていると、自分が抱えるトラブルについて「話し合いをしてみないか」だって???
多くのケースで、初動における相手方の「ふらっと」に対する印象はこんな感じじゃないのかと推測します。
この状態から「席に着かせる」ことは、並大抵の作業ではありません。
ケースマネージャーは、この大仕事を担うため、さまざまな悩みを抱えながら日々修練を重ねています。
はたから見れば、「そんなのどーでもいいじゃん!」というようなことにまで、真剣に悩み苦悩するケースマネージャーの姿を、少しずつご紹介してみます。
調停のウラ事情、少しでも知っていただければ幸いです。 (中里)
(前回は中途半端に終わっちゃいました。機会があれば続きを書きますが、一旦終了。ご容赦を!)。
ADRの肝は、「いかに相手方を調停の席に着かせるか」だそうです。
この、合意成立のための重要なファクターを担うのが、ケースマネージャー。
ある日突然、「ふらっと」という得体の知れぬ組織から電話を受けた相手方。
「巷で流行りの詐欺話か?」と警戒しながら話を聞いていると、自分が抱えるトラブルについて「話し合いをしてみないか」だって???
多くのケースで、初動における相手方の「ふらっと」に対する印象はこんな感じじゃないのかと推測します。
この状態から「席に着かせる」ことは、並大抵の作業ではありません。
ケースマネージャーは、この大仕事を担うため、さまざまな悩みを抱えながら日々修練を重ねています。
はたから見れば、「そんなのどーでもいいじゃん!」というようなことにまで、真剣に悩み苦悩するケースマネージャーの姿を、少しずつご紹介してみます。
調停のウラ事情、少しでも知っていただければ幸いです。 (中里)
2014年7月2日水曜日
Rcafeしずおか コミュニケーションを学ぶ時代
平成21年から静岡県青年司法書士協議会主催で
2カ月に1度、「Rcafeしずおか」を開催しています。
”ふらっと”の指定研修になっていることもあり、
”ふらっと”のメンバーも多数参加しています!
Rcafeしずおかでは、コミュニケーション・メディエーション
を学んでいます。
どなたでも参加できます。無料です。
獣医師、農家、経営者、会社員、主婦、学生
公務員、弁護士、司法書士、社会保険労務士、
行政書士、土地家屋調査士、美容師、教員・・・などなど
口コミで参加者は増え、異業種交流の場にも
なっています。
「コミュニケーション」なしで生きていける世の中は
ありません。
夫婦・親子・友人関係・職場の人間関係等
人間関係で悩む人は少なくありません。
どうせなら楽しく、学んでみませんか?
次回、Rcafeしずおかは、平成26年7月18日(金)
19時から静岡県司法書士会
講師は”ふらっと”副センター長名波直紀さんです!!
『信頼のチカラ』と題して、お送りします。
お楽しみに。
参加希望者はふらっとまでお問い合わせください。
2014年6月26日木曜日
「いのち」の重み
昨年、「全国中学生人権作文コンテスト」に入賞した静岡県内の中学生の作品を紹介します。
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祖父が胃ろうになったのはもう二年以上前のことだ。脳こうそくの発症から痴呆がひどくなり、(中略)最後に食べることもできなくなった。
医師から話があると言われ、祖母と母が、祖父が入院していた病院に駆け付けると、医師は「胃ろうにしますか、どうしますか。」と聞いた。母はその時初めて胃ろうにしないという選択があることを知り、「胃ろうにしないとどうなりますか。」と問い返した。すると医師は、「申し上げにくいですが、簡単に言うと徐々に体力が弱まります。栄養がとれないわけですから。」と答えた。祖母も母も胃ろうにしないという選択はできなかった。(中略)それから二年、祖父は生きている。
(中略)ただ眠ることしかできない祖父を見て、母は「胃ろうの選択をしたことが正しかったのか今でも分からない。お父さんをただ苦しめているだけなのかもしれない。」と言う。(中略)祖父にはもう脳の働きがほとんどないのだという。(中略)できるのは、そこにいて、ベッドに横になっていることだけだ。
祖父は今のこの姿を望んでいるのだろうか。幸せなんだろうか。はがゆい思いが沸き上がるけれど、母も祖母も結論が出せなかったように、私にもこの問題は重すぎて、答えを導き出すことができない。
祖父をもはや人でないと言ってしまうのは簡単だ。でも家族はそうは思えない。祖父は祖母が来たことなんて分からないのに、祖母は二日に一回は祖父のもとへ通い、のびたひげをそり、歯をみがき、耳のそうじをして「また来るからね。」と言って帰る。何も分からなくなり、何も言わないけれど、祖父は家族にとって祖父なのだと思う。
しかしその一方で、祖母は「私は胃ろうにしないで。」と言う。「頑張って生きてきたから、自分の力で生きられなくなったら、それでもう十分。自分が自分だと分からないのに生きていても、なんだか間違っている気がするんだよね。」
祖父には胃ろうを選択し、自らは嫌という祖母。祖母にとっても祖父の「いのち」は大切すぎて、自分の意志ではその終わりを決めることなどできないのだと思う。その一方で祖父の人としての尊厳は守られていると思えない。
大切なのは祖父の意志だったのかもしれない。しかし祖父の意志はもう聞くことができない。母は、「お父さんはきっとこんな管はずしてくれと言うだろうな。」と言うけれど、
「でもね、お父さんの本当の気持ち、死を目の前にした時の気持ち、お父さんにだって元気なうちは分からなかったんじゃないのかな。」
「いのち」の重み、「いのち」の大切さ。人としての在り方の難しさ。言葉だけではなくて、祖父は「いのち」の持つ苦しみや悲しさ、それを含めた重みを教えてくれた。私は今でも祖父が幸せなのかどうなのかは分からない。でも祖父の「いのち」のある限り、その重みのつらさに向き合っていくことが、今私にできる人としての在り方だと心から思っている。
…………………………………………………………………………………………………………
この作品を読んで思わず目頭が熱くなってしまった。私たちがいつも行く療養病院などでよく見かける光景だ。「家族」として、管で命がつながっている祖父を見て、この中学生は「いのちの重み」を感じ、これからも向き合っていくという。
自分たち大人も家族が同じような場面に遭遇したとき、果たしてこの状況、この問題に向き合っていけるのだろうか。仕事を言い訳にして逃げてしまわないだろうか。そんなことを考えています。
池谷道男
2014年6月23日月曜日
「うん、ちょうどいい。」
私達は、丘の上にある中華料理店で少し遅めの昼食を済ませて、支払いのためレジに向かった。対応してくれた店員の女性は、まだ片言の日本語しか話さないらしい。私は、おつりが無いように、代金をレジ机の上に置いた。彼女はそれをゆっくり片手に乗せると、もう一方の手の人差し指で真剣な表情で数えはじめた。そして、数え終わると顔を上げ、にっこり笑ってこう言った。
「うん、ちょうどいい。」
私達は、一瞬顔を見合わせ、そして、「ご馳走さま、おいしかったです。」
と言って店を後にした。私は、口元だけではなく目元も微笑み返しに協力したことを感じとった。
と返ってくるはずだ。
調停を支えるって、「ちょうどいい」探しを見守ることかもしれませんね!
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