2016年3月5日土曜日

大井川西小学校での人権教育の取り組み


昨年暮れ、人権擁護委員の視察会で焼津市立大井川西小学校に行って来ました。同校は平成26・27年度、静岡県教育委員会の人権教育指定校で、研究テーマは『「自分らしさが輝く子」~「自分から」がいっぱい、「思いやり」「支え合い」がいっぱい』、全校あげて取組んでいました。校舎に入ると大勢の児童が出迎えてくれ、校内も案内してもらいました。

この学校の特徴は、校内ばかりではなく、保護者や地域と連携した活動です。地域のカーニバルへの出店、地域の田んぼを借りて稲を育てる実践、高齢者施設への訪問、保育園・幼稚園との交流など、数多くの人たちとのふれあいを通して人権感覚を身に付けるというもの。そして研究の成果は、子どもたちの変容ばかりでなく、教職員の意識化、保護者への浸透も大きかったようです

人権意識は小学校の時期に身に付けると、将来的な効果が高いと言われています。多分この学校の子どもたちの大半は、将来、いじめとか虐待の場面に出逢ったとき、傍観者ではなく、何らかの行動をとってくれるのではないでしょうか。

帰りには、お土産に児童たちが育てた花の苗をいただきました。想いが残る視察会でした。
(いけがや)

2016年2月29日月曜日

便利なはずなのに

先週は4日間、熱に苦しみました。みなさん、体調管理は万全ですか?
さて、今回はエスカレーターについて思っていることを綴ります。
駅のエスカレーター、暗黙のルールでそのまま乗る人は左、急いで歩く人は右、という風になっていませんか?歩くのを嫌ってみんな左側に乗ろうとするので、右側は空いているのに、左側に乗るためエスカレーター下に列ができたりします。寒い日はつらいです。日本人の行儀の良さ、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが確実に輸送力が落ちていると思います。
下から見上げてエスカレーターの終点が遥か彼方の場合、きっとみんな頑張れないのでどんどん2列に並んでしまった方がいい、と思ったりします。でも見ず知らずの人々を相手に一々そんなことを呼び掛けて乗る元気はないし、うっかり右列に乗って後ろから迫って来る誰かに「えーい、邪魔者!」と思われたくはありません(もし右列に歩かない人がいたら喜んでその後につきます)。
最初から階段を使えばこのようなことに悶々とすることはありませんが、階段を潰してエスカレーターだけになってしまっているところもあります。いっそ駅が「2列になって乗りましょう」と立札を立てたり、エスカレーターの手すりに印字してくれたらと思います。
コミュニケーションの達人は不特定多数が相手のこんな場面でも鮮やかに切り抜けたりするのでしょうか?
 いぐち

2016年2月23日火曜日

「聴く」ということ


少し前ですが「傾聴」のセミナーに参加してきました。傾聴? 何それ?と思う方もいらっしゃると思いますが、「傾聴」とは、カウンセリング等におけるコミュニケーションスキルの1つで、相手の話をただ「聞く」だけではなくて、注意を払って、より深く丁寧に「聴く」ことです。私はある人に誘われて傾聴の意味も分からず参加したのですが、そこでは、旅館のようにいくつかの部屋がある施設で、参加者が6人で1グループとなって、5つのグループに分かれ、各部屋に行ってセミナーを行うというものでした。

セミナーと言っても、グループリーダーはいますが、何をするわけでもなく本当に話を聴くだけ。1人ずつ、自分の今思っていること、話したいことなどを話し、他の人はそれを何も言わず聴く。時間の制限があるわけでもなく、大声で叫びたい人は叫んで良いし、泣きたければ泣くなど感情を思いっきりあらわにして話して良いというものでした。

通常ならば、1人が話をしたら、そこでグループリーダーや他の人から「それはこうした方いい」とか「この方がもっと良くなるのでは?」などアドバイスや意見が出されると思うのですが、誰も何も言わず、とにかく話を聴き、終わったら次の人が話し始める。泊まり込みで全日程が4日間あり、最初はかなり戸惑いましたが、段々と慣れて来ると「聴く」ことでその人が「なぜそう思うのか」が本当に少しですが想像出来るようになった気がしました。

傾聴には資格が必要で、ただ1回セミナーを受けただけの私は何も出来ないに等しいけれど、このセミナーで学んだことを生かして、普段の自分の業務でも、目の前の依頼者の話を本当の意味で「聴き」、気持ちに寄り添うようにしていこうと改めて思いました。
                                                      佐藤圭

2016年2月21日日曜日

深い河

 
某テレビ局で、ザック・エブラヒムを特集した番組がありました。「テロリストの息子」(朝日出版2015年)という本の著者としてごぞんじの方もいらっしゃるでしょう。彼の父はアメリカで1993年の世界貿易センターの爆破計画に関わっていました。そのため彼を含む家族は追われるように住居を転々とするのですが、テロリストの家族(人種差別も)として、迫害やいじめにあい自殺も考えたと。彼がその不条理にどのように向きあっていったのか、父親の取った暴力とは異なる選択をした思いが伝わってきました。
 
宗教や人種における偏見、差別、自分が優越である他者は劣っているという力の強弱のレッテル、相容れない他者への不寛容、社会からの排除、善と悪の分離、富への追及、これらを原因とする紛争は絶えることなく存在し、暴力の連鎖という形で繰り返されています。
 
私たちは、話をします。自分を知ってほしい、あなたを知りたい、感情を伝えたい、目的達成のために共感し手順を確認するため、実に様々な思いをもって私たちは会話をします。年齢、性別、国籍、信仰、信念、能力、感性等が異なっていても、私たちは会話をすることができます。その根底には、「私が話すことをあなたは聞いてね、あなたの話すことを私も聞くから」という相互性と、「私とあなたは異なる人格であるけれどあなたという存在を尊重するよ」という独立性の深い河が流れているのだと思います。
 
自分の意見を押し付けたり、話の分かる人とだけ話して、話の分からない相手は排除したり、話したんだからもういいだろと勝手な思い込みをしたり、結論を押し付けるためにする話合いは会話とは言えないのではないでしょうか。
 
 相対する意見を持つ他者や敵対する他者に対して、自分の主張を通すために話合いを利用するならば、それは、相手を自分とは異なる価値観を持つ独立した存在であることをないがしろにし、尊重しているとはいえず、一方的に攻撃、否定する暴力的な対応となるのでしょう。
 
私たちは、人が日常の中で変化(良いことも悪いことも)が生じて困った事態に直面したときに、相談を受ける立場にあります。相手の話をちゃんと聴いているか、相手を尊重した言葉使いをしているか(相手を見下したりため口になっていないか)、相手によって態度を変えていないか、今一度自分を顧みたい今日この頃です。


御室
 
 
 

2016年2月14日日曜日

副産物

自動車メーカーの究極の目標、それは本当の「自動」車をつくること。
でも目標達成までの道のりは気が遠くなるほどに長く険しい。
なので、その長い道のりの中、研究の成果が部分的に、
とても役立つものとして世に出てくることがあるのです。

例えばカーナビ。
自動運転をするには、自動車が現在地から目的地までの道のりを
把握している必要があります。
そのために地図データとそのデータをもとに
最適な道順を選び出す仕組みが研究されたのですが
人間が運転する場合でも有益だろうということで
独立した商品として販売されているのです。

例えばクルーズコントロールや自動ブレーキ、自動パーキング。
人間が行なっているアクセルやブレーキやハンドル等の操作を
機械にさせるための研究成果が
事故防止のための補助的デバイスとして商品化されています。

「ふらっと」はメディエーションという手法によって
紛争を解決することを目的として設立された組織ですが、
調停人のレベルを維持するために定期的なトレーニングを行っています。
ところがこのトレーニング、コミュニケーション技術を向上させるために
実際の紛争から得た経験をフィードバック、研究して改良を重ねたものなので
調停のみならず、いろんなところで使えるシロモノなのです。
しかも、「ふらっと」では自動車のオプション装備と違って
会員向けに無料で実施しています。

3月20日(日)には新人及び会員向けのトレーニングが
静岡県司法書士会館にて午前10時から午後5時まで開催されますので
この記事をご覧の司法書士会員の皆様、
「ふらっと」の副産物を体験してみませんか?


「ふらっと」運営委員 竹下

2016年1月22日金曜日

肩狐狸庵ICHIの「時の過ぎゆくままに」


私の庵(事務所)は、静岡県東部の中核都市、

富士市の閑静な住宅街の端にある。

 

すこし遠くへ足を延ばそうと考えるとき

最近必ず確認するのが「外務省 海外安全

ホームページ」というサイトだ。


 

 

 

各国の安全情報をレベル1から4まで、

色別に表示している。

レベル1で「十分注意してください。」

レベル2で「不要不急の渡航は止めてください。」

レベル3、4で「渡航中止勧告」「退避勧告」となる。

 

また国の地図に塗られる色も黄色から

次第に濃くなり、最後は真っ赤となる。

 

そんな訳で今回は黄色1色の国に流れ着いた…

 

それにしても一体どこで歴史は間違って

しまったのか?


 



 

2003年にアメリカが「イラクの自由作戦」を

開始しなければよかったのか?

 

2001年のアルカイダによる「同時多発テロ」を

未然に防ぐことが出来たならばよかったのか?

 

それともそもそも、1978年のソビエト連邦に

よるアフガニスタンへの軍事介入まで

遡らなければならないのか…

 

などと過去の過ちを見返しても、

決して時は戻らない。
 

 



 

第2次世界大戦下、カサブランカの

「カフェ・アメリカン」で

As Time Goes By」を聴きながら、

パリでの甘い恋人時代に思いを馳せても

淀んだ時の流れに飲み込まれるだけだ。

 

気ままな旅も、毎回毎回危険情報のチェックを

余儀なくされるうえ、かの組織に属する、

または感化された人々によるテロにより、

次第に無色の国や地域が減っていく現実に、

つい時間を戻したくなる衝動にも駆られる。
 

 



 

こんな対立構造の中で、ADRは有効なのだろうか?

 

私のイニシャルと同じかの組織(国?)は

そのテーブルについてくれるのだろうか?

 

テーブルにつけば、7~8割の紛争は解決する
というふらっとの「事件管理者」の手腕に期待をする。

2016年1月6日水曜日

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。

今年、ふらっとは正念場の年となります。
昨年は申立てが5件。まだまだ目標値にはほど遠いです。
いろいろな途を検討している中で、平成28年度は大きな分岐点となります。

そこで自分への戒めとして、この言葉を記したいと思います。

「コミュニケーションは受け手に100%権利がある」

これは、キリンビールの偉い人が言っていた言葉です。
営業担当が顧客にとってベストと思ってする営業もどう受け取るかは相手が決めること、
ということです。

ふらっとの広報もこちらがユーザーにとってベストと思ってやっても、それはユーザーには
全く届いてないかも。 だって、受け手に100%権利があるから。

当然のことと言えばそうなんだけど、でも難しい。
やはりここに尽きるんですよね。

正念場 そこを耐えたら 突破っス  (^O^)/

事務長 佐藤麻妃