2016年6月20日月曜日

肩狐狸庵ICHIの“きりとる”


私の庵(事務所)は、静岡県東部の中核都市、

富士市の閑静な住宅街の端にある。

 

TV番組や雑誌では私たちがまだ行ったことのない

世界の美しい風景やその国の人々の生活、

美味しい食べ物などを紹介している。

 


 

私たちはそのTV番組の景色を“きりとる”

その雑誌の筆者の感想を“きりとる”

そしてその情報をもとに、自らの記憶を構成する。

 

確かにそこに映し出される風景は嘘ではないし、

レポーターや雑誌の筆者が綴る言葉にも

嘘はないのかもしれない。

 

けれども実際にその場に行かなければ、

その国で食べ、人々と交わらなければ

本当の姿は分からない。

 

行ってみなければ、世界最高所4000mを超える

地にあるボリビア、ラパスのエル・アルト空港の

倒れるような空気の薄さは分からない。

 

行ってみなければ、裸足で歩くミャンマーの

バガンの寺院群の焼けたタイルの熱さは分からない。

 

 

 

行ってみなければ、ヨルダンの死海の

体が浮いてしまう程の塩分を含んだ海水の

そのとんでもない苦さは分からない。

 

行ってみなければ、ブラジル・リオデジャネイロの

街なかで漂う排泄物の匂いも分からない。

 

まさに「百聞は一見にしかず」である。

 

 

 

私たち司法書士という業務もただ書籍から

情報を“きりとる”だけでは進歩がない。

 

もちろんその行動の規範のために

知識、情報の収集は必要であろうが、

そのために自ら限界を設定してしまうのは如何か。

 

自らの可能性を開拓するために行動する。

そう、自ら引いた限界(キリ)を・・・“きりとる”

 

新たに開けた世界は・・・

 

2016年6月7日火曜日

震災とADR

6月5日(日)に、神奈川県青年司法書士協議会主催の災害対策研修に参加しました。
熊本地震を受けて、今週末、静岡のメンバー数名連れて熊本入りするので、その
前の研修です。(講師は、福岡会の手嶋竜一先生と神田哲郎先生)

いま、九州ブロックの司法書士会では、震災電話相談を実施しています。
いまの時期、多い相談は、借地借家関係と相隣関係だそうです。

例えば、借家の一部が壊れてしまったときに賃貸人に賃料減額請求をしたい
というとき、これは、賃貸人と賃借人との話し合いになるわけですが、このとき、
通常の(震災がないとき)話し合いとは違った利益考慮が働くこともあるでしょう。
賃貸人も賃借人も被災しているので。

こういったとき、まさにメディエーションが活用される場面だと思います。

というわけで、ふらっとの存在意義を強く感じた研修でした。

事務長 佐藤麻妃

2016年6月1日水曜日

お坊さんの派遣


数年前より、お坊さんの派遣サービスが始まっていますね。あのアマゾンが取り扱っている点でも驚きです。

このお坊さんの派遣サービスですが、このようなサービスに違和感を覚える人もそれなりにいると思います。正直私も、多少の違和感は禁じ得ません。

宗教的な行為をビジネスの対象としてしまうことに対する戸惑いだと思います。

仏教会からも、宗教行為を商品やサービスの対象とすることに対して強い批判があるようです。

一方で、料金体系も明確で判りやすいと利用される方がそれなりにいるようです。また、そもそも高額のお布施を受け取る宗教家に対して、宗教をビジネスとしているのは宗教家自身ではないかと反論される方もいるようです。

一昔前なら、こんなサービス考えられなかったですよね。

人の価値観は、時代によって刻々と変わっていくのだなとつくづく思いました。

私は、自分の親族の法要を行う際には、これまで代々お世話になってきたお寺にお願いしたいと思いますが、でも、たとえば、司法書士として就任した相続財産管理人として、被相続人とその先祖の供養を依頼する場合には、遺された相続財産の残額と、供養に係る費用との関係からお坊さんの派遣サービスをお願いしてみたくなるかもしれません。

 

ん? 時代の変化以前に、すでに私の中で立場によって価値観が変わっている?

いや、これは単なるご都合主義でしょうかね。

 
ちなみに、同職の知人にお寺の住職をしながら、司法書士をされている方がいます。ご葬儀から相続登記まで。これぞワンストップサービス!?(不謹慎と思われ方がいたらごめんなさい。)


井上史人

2016年5月30日月曜日

日本司法書士会連合会 紛争解決支援対策部では・・・


 センター長の小澤です。
 現在、私は、日本司法書士会連合会の常任理事として、ADR推進も担当させていただいております。
 日本司法書士会連合会では、前年度から、紛争解決支援対策部を設置し、あらゆる紛争解決メニューの支援を推進しております。 
 つまり、民事事件、家事事件いずれについても、訴訟、調停、仲裁、訴外に和解も、代理事件も書類作成事件も、司法書士が関与することができうるすべての紛争解決支援について、推進していきましょう!ということであります。
 そして、その中の重要なテーマとして、このADRが存在します。
 その重要性は改めて申し上げる必要はないでしょう。
 今年度は、全国の司法書士会に設置されている29の調停センターのうち、一定の範囲で家事事件を取り扱うことができる4センター、東京・愛知・京都・福岡の担当者を交えての意見交換に加え、29のセンターすべての担当者の皆さまとの意見交換会も予定しています。
 司法書士が実施するADRについて、取り組む意義を再確認したうえで、利用者にとって、利用しやすく納得度の高いセンターを目指して行くと同時に、司法書士の専門性を活用することも考える場になればありがたいと思っています。

2016年5月17日火曜日

考える子宮

去年の今頃、ADRの勉強会で二人一組で相手の話したことを別の言葉で言い換えるという訓練をしました。「嫌な人、嫌いな人のことについて」だったと思います。

私は食べ物も人間もあまり好き嫌いはないのですが、少し考えて頭に浮かんだのが安倍晋三首相でした。この人がただの知り合いであったなら自分とは全く違う考えを持つというだけで、たぶん嫌な感情を持つことはなく、どちらかといえば好きなくらいであるかもしれませんが、「国」や「憲法」について今時一国の首相がこの人のような考えを持っているというのは我慢しがたいことであり、ADRの勉強会の時もつい言ってしまったのですが阿部首相と同じような考えをもっている人たちの話を聞いていると「脳みそをあそこに支配されている」(品のない言い方で恐縮ですが)という言葉というか考えが頭に浮かんできます。

昔、たぶん私がまだ十代の頃、「女は子宮でものを考える」と言った人がいましたが、この人もある種の女性(もしかしたら私みないな?)が言うことに対して、我慢しがたい感情を持ったのかもしれません。

とにかく私の子宮はこう考えているようです。

天は人の上に国をつくらず、国のために人をつくらず  国?国家?そんなもの私にとっては「は行の4番目」ほどのものでもないさ!

・・・・・・・・・・・・・・最後まで品よくできず申し訳ありません

                                                  田ノ上美津子

2016年5月5日木曜日

我が家にテレビがやって来た!

 五月晴れがまぶしいこの季節。風は強かったものの、今日もお天気が良く、お出掛けに心が弾みましたね。ゴールデンウイークは如何お過ごしでしょうか。

 このゴールデンウィーク、我が家には大きな出来事がありました。なっ、なんと!!!テレビがやってきたのです。

 驚いた方も多いかもしれませんが、我が家にはこれまでテレビがありませんでした。別にテレビが大嫌い、見たくない、だから購入しないんだ、という主義だったわけではありません。引っ越しの際にまとめて家電を購入したのですが、なぜかテレビを見落とし、購入の機会を逃したまま約6ヶ月が経ってしまっていたのです。

 当初は静かな食卓が気になったものの、やがて自然とテレビのない生活に慣れ我が家の常識になっていました。まぁ、よく会話もするし、喧嘩もします。

 「そんな我が家に念願のテレビがやってきた!!!」のですが、なんか違和感が・・・。
 
 たくさん会話をし、相手の動作や心の動きを敏感に感じ取る生活が我が家のスタンダードになっていましたので、テレビをつけているとその邪魔をされているような気持になっていることに気付きました。電源を入れたもののすぐに消してしまう、そんな日が続いています。
 
テレビのある生活が当たり前になっている方には、私の違和感を理解し難いと思いますが、逆に今の私には居心地の良いテレビ生活が想像できません。

 こう言っている私ですが、テレビの無い生活を経験するまでは、皆さんと同じ感覚でした。経験によりこんなにも世界観が変わってしまったことに、私自身ものすごく驚いています。

 生活を送っていると「当然でしょ」「常識でしょ」と思うことが多々ありますが、この「当然」「常識」のスケールって、実はあてにならないものなのだと思う今日この頃です。
 
 いずれ私もまたテレビのある生活がスタンダードになるのかしら・・・。

                                     見城美妃

2016年4月30日土曜日

観覧車

観覧車に乗ってきました。


午前9時半の開場直後から、強風のため回転中止になっていましたが、午後2時半ごろには風も弱まり、回転が始まりました。

観覧車というのは、園内のどこからでもその存在が確認でき、また、園外から遥かに見渡す際にも、真っ先に目に飛び込んでくる、まさに遊園地の象徴といえるオブジェクトです。

そんな観覧車が止まっている、という状況は、遊園地そのものは稼働していながら、なにかが決定的に欠けている、そんなやるせなさ、喪失感を与えるものです。

2度目となるイルカのザブーンの列に並びながら、ふと見上げた青空にゆっくりとその巨体を揺り動かしている観覧車を発見し、娘は歓声をあげながら私の手を引きました。


彼女は、観覧車が好きなのです。

怖がりで、あまり動きの早い遊具には乗りたがらない彼女には、動きはゆっくりでも、通常では考えられない高さまで昇り、少しの風でも大げさに揺れるゴンドラは、最高のエンターテイメントなのです。


てっぺんまで昇ったゴンドラの中で、私は娘に問いました。

もし、このゴンドラの床と座席だけ残して、左右や上方の囲いがすべて無くなったらどうする?

娘も、私も、想像しました。それまで、絶対の信頼をおいて寄りかかっていた背もたれがなくなる。どんな強風も遮ってくれていた囲いがなくなる。

それは、ひどく怖ろしい想像でした。思わず私は、惨めにも床に這いつくばり、風に飛ばされないように必死でしがみつきました。


連休はまだ始まったばかり。


青野雅之