2016年3月27日日曜日

OHカードをご存じですか?



上記のような88枚の絵カードと88枚の文字カード。
あわせて7744の組み合わせによって、自分自身の直観、本質にアクセスするツールです。直観力、想像力、洞察力、コミュニケーションを広げるツールとも言われています。

私も、いつもRcafeしずおかに参加してくださっている藤本青さんからその存在をお聞きするまでは全く知りませんでした。

藤本青さんは、実は、大阪大学ワークショップデザイナー養成講座、スマイルのTグループなど様々な形で、ワークショップや対話のデザインを学んでいらっしゃる方です。
そして、大阪大学ワークショップデザイナー養成講座と言えば、メイン講師は、劇作家、演出家として世界的にも有名な平田オリザさんです。
コミュニケーションについて学んでいる我々からすると、とても羨ましい環境で学ばれてこられた藤本青さんですが・・

なんと、来月15日金曜日(19:00~)のRcafeしずおかで講師をしていただけることになりました!!
私もサポート役としてお手伝いさせていただきます!

内容は、冒頭でもご紹介した「OHカード」を使ったワークショップです。

題して

藤本さん曰く、「イチオシ!のワークショップ」だそうです。
先日も、打ち合わせで試してみましたが非常に奥深いものを感じました。
 
どなたでも参加できます。

是非、OHカードを使用したワークショッブで、自分でも気づいていない自分を発見してみてください!

運営委員 名波直紀

2016年3月15日火曜日

ケースマネージャーの悩み④

ものすごく久しぶりとなるシリーズもの・・・

ケースマネージャーにとって、ファーストコンタクトで相手方の懐にいかに食い込むことができるかが腕の見せ所。
調停に出席させしてくれれば高い確率で合意に至るのが“ふらっと”の特徴だから、ケースマネージャーの仕事は重要だ。

そこでケースマネージャーは、相手方の信頼を得ようと日頃のトレーニングの成果をあの手この手と駆使することになるのだが、一方で信頼を得すぎてしまうのも考えものだとか。。。

本来は調停に出席して話してもらわなければいけない事実経過やご自身の意見などを、「身近にいる信頼できる専門家」であるケースマネージャーにとくとくと話し、意見を求められるようになることは少なくないのだ。

中立な立場を維持しつつも、相手方からの信頼も得なければならない。
こんな二律背反を強いられることも、ケースマネージャーの悩みのひとつなのだ・・・

(中里)

2016年3月9日水曜日

Facebook始めました!


こんにちは。副センター長の芝です。

突然ですが、わたくし、清水生まれ、清水育ち。生粋の清水っ子です。

残念ながら、J2になってしまった清水エスパルスの開幕試合に
行ってきました~!

何としても1年でJ1に上がってほしい。
かつてサッカー王国といわれた清水を取り戻してほしいなぁ~。

と、”ふらっと”とはあまり関係のないことを書いてしまいました。

このブログは”ふらっと”にかかわる運営委員、調停人、
事件管理者が交代で書いています。
それぞれに個性があり、面白いなぁと思うのですが、
ちょっと地味・・・・・。
そこで、遅まきながらFacebookページを開設し、
広報しております!

https://www.facebook.com/shizuokaflat/

Facebookを行っている
みなさま。ぜひ「いいね!」を押してね♡

ご支援、お待ちしております!!

2016年3月5日土曜日

大井川西小学校での人権教育の取り組み


昨年暮れ、人権擁護委員の視察会で焼津市立大井川西小学校に行って来ました。同校は平成26・27年度、静岡県教育委員会の人権教育指定校で、研究テーマは『「自分らしさが輝く子」~「自分から」がいっぱい、「思いやり」「支え合い」がいっぱい』、全校あげて取組んでいました。校舎に入ると大勢の児童が出迎えてくれ、校内も案内してもらいました。

この学校の特徴は、校内ばかりではなく、保護者や地域と連携した活動です。地域のカーニバルへの出店、地域の田んぼを借りて稲を育てる実践、高齢者施設への訪問、保育園・幼稚園との交流など、数多くの人たちとのふれあいを通して人権感覚を身に付けるというもの。そして研究の成果は、子どもたちの変容ばかりでなく、教職員の意識化、保護者への浸透も大きかったようです

人権意識は小学校の時期に身に付けると、将来的な効果が高いと言われています。多分この学校の子どもたちの大半は、将来、いじめとか虐待の場面に出逢ったとき、傍観者ではなく、何らかの行動をとってくれるのではないでしょうか。

帰りには、お土産に児童たちが育てた花の苗をいただきました。想いが残る視察会でした。
(いけがや)

2016年2月29日月曜日

便利なはずなのに

先週は4日間、熱に苦しみました。みなさん、体調管理は万全ですか?
さて、今回はエスカレーターについて思っていることを綴ります。
駅のエスカレーター、暗黙のルールでそのまま乗る人は左、急いで歩く人は右、という風になっていませんか?歩くのを嫌ってみんな左側に乗ろうとするので、右側は空いているのに、左側に乗るためエスカレーター下に列ができたりします。寒い日はつらいです。日本人の行儀の良さ、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが確実に輸送力が落ちていると思います。
下から見上げてエスカレーターの終点が遥か彼方の場合、きっとみんな頑張れないのでどんどん2列に並んでしまった方がいい、と思ったりします。でも見ず知らずの人々を相手に一々そんなことを呼び掛けて乗る元気はないし、うっかり右列に乗って後ろから迫って来る誰かに「えーい、邪魔者!」と思われたくはありません(もし右列に歩かない人がいたら喜んでその後につきます)。
最初から階段を使えばこのようなことに悶々とすることはありませんが、階段を潰してエスカレーターだけになってしまっているところもあります。いっそ駅が「2列になって乗りましょう」と立札を立てたり、エスカレーターの手すりに印字してくれたらと思います。
コミュニケーションの達人は不特定多数が相手のこんな場面でも鮮やかに切り抜けたりするのでしょうか?
 いぐち

2016年2月23日火曜日

「聴く」ということ


少し前ですが「傾聴」のセミナーに参加してきました。傾聴? 何それ?と思う方もいらっしゃると思いますが、「傾聴」とは、カウンセリング等におけるコミュニケーションスキルの1つで、相手の話をただ「聞く」だけではなくて、注意を払って、より深く丁寧に「聴く」ことです。私はある人に誘われて傾聴の意味も分からず参加したのですが、そこでは、旅館のようにいくつかの部屋がある施設で、参加者が6人で1グループとなって、5つのグループに分かれ、各部屋に行ってセミナーを行うというものでした。

セミナーと言っても、グループリーダーはいますが、何をするわけでもなく本当に話を聴くだけ。1人ずつ、自分の今思っていること、話したいことなどを話し、他の人はそれを何も言わず聴く。時間の制限があるわけでもなく、大声で叫びたい人は叫んで良いし、泣きたければ泣くなど感情を思いっきりあらわにして話して良いというものでした。

通常ならば、1人が話をしたら、そこでグループリーダーや他の人から「それはこうした方いい」とか「この方がもっと良くなるのでは?」などアドバイスや意見が出されると思うのですが、誰も何も言わず、とにかく話を聴き、終わったら次の人が話し始める。泊まり込みで全日程が4日間あり、最初はかなり戸惑いましたが、段々と慣れて来ると「聴く」ことでその人が「なぜそう思うのか」が本当に少しですが想像出来るようになった気がしました。

傾聴には資格が必要で、ただ1回セミナーを受けただけの私は何も出来ないに等しいけれど、このセミナーで学んだことを生かして、普段の自分の業務でも、目の前の依頼者の話を本当の意味で「聴き」、気持ちに寄り添うようにしていこうと改めて思いました。
                                                      佐藤圭

2016年2月21日日曜日

深い河

 
某テレビ局で、ザック・エブラヒムを特集した番組がありました。「テロリストの息子」(朝日出版2015年)という本の著者としてごぞんじの方もいらっしゃるでしょう。彼の父はアメリカで1993年の世界貿易センターの爆破計画に関わっていました。そのため彼を含む家族は追われるように住居を転々とするのですが、テロリストの家族(人種差別も)として、迫害やいじめにあい自殺も考えたと。彼がその不条理にどのように向きあっていったのか、父親の取った暴力とは異なる選択をした思いが伝わってきました。
 
宗教や人種における偏見、差別、自分が優越である他者は劣っているという力の強弱のレッテル、相容れない他者への不寛容、社会からの排除、善と悪の分離、富への追及、これらを原因とする紛争は絶えることなく存在し、暴力の連鎖という形で繰り返されています。
 
私たちは、話をします。自分を知ってほしい、あなたを知りたい、感情を伝えたい、目的達成のために共感し手順を確認するため、実に様々な思いをもって私たちは会話をします。年齢、性別、国籍、信仰、信念、能力、感性等が異なっていても、私たちは会話をすることができます。その根底には、「私が話すことをあなたは聞いてね、あなたの話すことを私も聞くから」という相互性と、「私とあなたは異なる人格であるけれどあなたという存在を尊重するよ」という独立性の深い河が流れているのだと思います。
 
自分の意見を押し付けたり、話の分かる人とだけ話して、話の分からない相手は排除したり、話したんだからもういいだろと勝手な思い込みをしたり、結論を押し付けるためにする話合いは会話とは言えないのではないでしょうか。
 
 相対する意見を持つ他者や敵対する他者に対して、自分の主張を通すために話合いを利用するならば、それは、相手を自分とは異なる価値観を持つ独立した存在であることをないがしろにし、尊重しているとはいえず、一方的に攻撃、否定する暴力的な対応となるのでしょう。
 
私たちは、人が日常の中で変化(良いことも悪いことも)が生じて困った事態に直面したときに、相談を受ける立場にあります。相手の話をちゃんと聴いているか、相手を尊重した言葉使いをしているか(相手を見下したりため口になっていないか)、相手によって態度を変えていないか、今一度自分を顧みたい今日この頃です。


御室