2017年2月18日土曜日

決着をつけること

私たち司法書士の仕事は、相談を聴くことから始まります。
法律的に請求できても回収の見込みが低い場合、そもそも法律的に
請求することが難しい場合、相談者の納得を得ることはとても大変です。
当事者が自分の気持ちに決着をつけらるように私たちはできる限り寄り添
います。ただ近づきすぎるとこちらも疲弊します。何事もバランスが大切
です。
来月発刊される司法書士会の会報誌HO2に、コミュニケーションに関す
る座談会が収録されています。何かのヒントになれば嬉しいです。
                        
                         事務長 佐藤麻妃

2017年2月16日木曜日

「法テラスカード」を作りました。


法律扶助ってご存知ですか?

法律扶助とは、収入が少なく生活に余裕がない方でも、司法書士、弁護士に依頼して法的サービスを受けられるよう司法書士、弁護士への依頼費用(実費も一部も含みます。)を立て替えてくれる制度です。しかも依頼費用の立替金は、長期の分割で返済できます。

法律扶助は、法テラス(日本司法支援センター)が運営している制度で、様々な法的問題を解決するために利用できます。たとえば、自己破産申立、債務整理のほか、離婚調停、養育費の請求、遺産分割調停、相続放棄、交通事故等による損害賠償請求、貸金返還請求など法的トラブルを解決するために司法書士、弁護士に依頼する費用であれば、法律扶助の対象となります(紛争金額が140万円を超える事件、家庭裁判所で扱う事件等については、司法書士は裁判所に提出する書面作成での受託となります。また、相続等の登記の依頼費用は法律扶助の対象になりません。)。

ただし、利用するためには、収入・資産が一定額以下であること等の要件がありますので、詳細については、司法書士にご相談いただくときにお尋ねいただくか、または、日本司法支援センターのホームページ等で確認してください。

大変有益な制度なので、多く方に自らが抱える法的問題を司法書士に依頼する際に是非とも利用していただきたいのですが、生活困窮者等の本当にこの制度を必要とする方に十分に情報が行き届いていないのではないかと思い、静岡県司法書士会では、この度、法テラスの利用を促す「法テラスカード」というものを作成しました。

「法テラスカード」は、司法書士に相談・依頼をする際に提示していただければ、司法書士が収入要件等を確認して、法テラス(法律扶助)の利用が可能か検討します。市役所の福祉課や社会福祉協議会の窓口等で配布していただけるようこれから関係機関にお願いする予定ですので、是非、受け取ってご自身の法的トラブルの解決に利用してください。

私は法テラスカードを持っていないという方でも、司法書士に依頼する際に「法テラスの利用を検討してください」と言ってくだされば、司法書士において検討しますので安心してご相談してください。

ちなみに、ふらっとの申込費用等については、法律扶助の対象ではありませんが、ふらっとでは、収入が一定額以下の場合には、ふらっとの申込費用等の負担を免除する規定がありますので、詳しくは静岡県司法書士会事務局までお問い合わせください。



運営委員 井上史人

2017年2月3日金曜日

震災時の調停センターの活用について

 センター長の小澤です。

 日本司法書士会連合会のADRに関するプロジェクト・チームでは、震災時のADRセンターの活用について、継続的に議論しています。
 東日本大震災時において、仙台弁護士会のADRセンターに多くの事案が寄せられ、多くが紛争の価格が140万円以下であったというデータもありますので、全国の司法書士会調停センターがお役に立てる可能性が大きいからです。
 先般の熊本地震においては、熊本県司法書士会の調停センターが、福岡県司法書士会をはじめとする近隣の司法書士会調停センターの協力を得て、事案を解決するスキームを構築しています。

 震災時における調停センター活用についての最大のポイントは、震災を受けた司法書士会の調停センターを、他の司法書士会の調停センターが円滑に支援できるスキームが必要なことだと思います。
 たとえば、東海大震災が起こり、静岡県が広域にわたって大きな被害を受ければ、静岡県民の相談に、ふらっとだけでは対応しきれないことは明らかです。
 このようなことは、全国各地の司法書士会の調停センターに共通して言えることでありますので、今から、備えておく必要性が高いと考えられます。
 近隣の司法書士会の調停センターとの意見交換も必要でしょうし、より具体的には、規程類の見直しの作業も必要になってきます。
 ふらっとにおいても、改めて議題として検討したいですね。

2017年2月1日水曜日

死にたいと言い続けることは良いことではないが役には立つ?

私の母はもうすぐ88歳になりますが、常に、「死にたい、死にたい」と言っています。
もう少し若い(といっても80歳前後)頃はもっと具体的に自殺とわからない方法で自殺するのだと(私だけに)言っており、それが私の悩みの種でした。

母は私にどうして欲しいのだろう、どうしたらいいだろうと考え、親しい親類が集まって飲み会をしているときに、自殺なんてしないでほしいと言って泣くという相当恥ずかしいことをしてみてからは有難いことに「自殺する」とは言わなくなったかわりに、あんたのために生きていてやっているのだと、くどくど言われますが、自殺すると言われるよりはましだと思い、「有難う感謝してるよ」と(そんなに優しくではありませんが)言っています。

死にたいなどと言い続けなくてもいつか必ず死ねるのですが母の場合それを言い続けたことで二ついいことがあったと思います。

ひとつははいい年をした(当時50歳ちょっとの)娘が親戚の前で「お母さん死なないで」と言って泣くなどと言う思い切り恥ずかしいことをしてくれたこと(我ながらなんていい娘なのだろうと思ってしまうのは、絶対そんなことはないとは思いたいけれど、少し母に似ているのかも知れません)
もうひとつは、その母が自分で話してくれたことですが、(いつも体のどこそこが死にそうに痛いと言っているにもかかわらず)いつもと違う体の変調を感じてひどく不安になりどうしようとうろたえかけたとき、そうだ自分は死にたいんだったと思い出して安心したということです。

言葉には力があると思います。
知り合いの医者が「寝付いてから10年は死なないぞ(死ねないぞ)」と恐ろしいことを言っていましたが、認知症になったり、寝付いたりする前に、「死にたい」ではなく、それを自分自身に向って言い続けることで生きる力になるような言葉を何とか見つけたいものだと思います。

                                                    田ノ上美津子