2017年10月24日火曜日

家庭裁判所の運用について

 平成23年5月19日、家庭裁判所の手続法である家事事件手続法が制定された。(平成25年1月1日施行)

 昭和22年に制定されたこれまでの手続法である家事審判法及び同規則は、施行以来、抜本的な改正がされないまま約60年経過し、日本の家族を巡る社会の状況、国民の法意識の著しい変化を反映した家事事件の複雑化、多様化、紛争の激化に十分対応できるだけの手続保障等の明確な規律が十分とはいえない状況にあったことから、家事事件の手続を国民により利用しやすく、家族を巡る現代社会の要請に的確に対応するために「手続保障」「手続の透明化」「子の福祉に配慮した紛争解決」等が謳われ、充実した手続規定が整備されるに至っている。

 事件の性質上非公開の家事事件は、これまで当事者が相互にどの点で争っているのかや提出された書類の内容等を互いに理解して主体的に手続きに関与するような運用が適切に実現できていたかについては必ずしも十分ではなく、特に、家事調停は、訴訟や審判とは異なり、当事者間の合意に基づいて紛争を解決する制度であることから、その点は顕著であった。これらの反省に立ち、これまで家庭裁判所の広範な裁量に委ねられていた点を徐々に改める方向に舵を切ったことになる。

 特に、子の権利福祉に配慮した家事調停運営において、離婚事件での15歳未満の子に関しては、真に子の意思を尊重する取り扱いが重要である。親権者の指定・子の監護・養育費・面会交流の判断基準は、単に愛情によるものではなく、現実的な監護養育の能力や姿勢を以てするとしている。また、同居していたときからの「養育監護の継続性」が子の福祉から重要となり、乳児等については、母子の分離が成育上望ましくないという知見から「母性優先の原則」が重視される。他、「きょうだい不分離の原則」も望まれているところであり、親の面子や子を家の跡取りにする等の理由での親権者・監護者分離方式には充分な留意が必要とされる。

 そこで重要な役割を果たすのが家庭裁判所調査官である。家庭裁判所調査官は、家事事件では、紛争当事者や親の紛争の渦中に置かれている子供に面接して、問題の原因や背景を調査し、必要に応じ社会福祉や医療などの関係機関との連絡や調整などを行いながら当事者や子にとって最も良いと思われる解決方法を検討する。これに基づいて裁判官は事件の適切な解決に向けて審判や調停を進めることとなる。また、悩み事から気持ちが混乱している当事者に対しては、冷静に話し合いができるように、カウンセリングなどの方法を活用して心理的な援助をしたり、調停に立ち会って当事者の話し合いがスムーズに進められるようにすることもある。

 これまで、子の監護者の恣意により、子の意思に反していながらも「子が会いたがらない」「体調がすぐれない」等と面接交流を拒む事例が多かったことは事実である。この場合には、子の心情の理解を促すために、面会交流が子の福祉に寄与するものであることを伝えることにも尽力している。(早川清人)

2017年10月16日月曜日

立山山行

 
 前回の小楠さんのブログ「若いころのサッカー観戦を思ひ出して」の最後に富山アルペンスタジアムと立山連峰のことが少し触れられていました。
 小楠さんがブログの原稿を書いているその頃、私は10月7日~9日の3連休を利用して秋の立山連峰を歩いていましたので、その山行の話をしようと思います。


 立山は、長野県側は信濃大町、富山県側からだと立山駅から入りますが、静岡県からだと信濃大町を経由して扇沢駅から立山黒部アルペンルートを利用して、トロリーバス・ケーブルカー・ロープウェイなどを乗り継いで立山室堂に入るのが一般的でしょう。


ミクリガ池から立山連峰
 立山黒部アルペンルートは冬の間は閉鎖され、毎年4月から11月まで開通していて、毎年春に高さ20mの雪の壁の間を行く「雪の大谷」が有名ですが、登山・観光のベストシーズンはなんといっても夏から秋にかけてでしょう。
 そして、このコースを巡るには天候の良否により、満足度が大きく左右されますので、予め観光ツアーなどは申し込まずに、天候を見計らってマイカーで出かけるのがベストの選択でしょう。

 乗り物を乗り継いで立山室堂ターミナルに到着すれば、そこには2450mの別世界が広がり、室堂周辺を散策するも良し、そこから本格的な登山も可能で、その日のうちに3000m峰を踏むこともできるのです。気軽に入山できるがゆえに時としてものすごい混雑に合うこともありますが、それはどこに行っても同じですね。
 昨今観光地はどこもそうなのですが、室堂ターミナル周辺は東アジアからの観光客であふれ半数以上が日本人以外のようです。
雷鳥沢野営場から

さて、私の山行スタイルといえば、山小屋の混雑を嫌い、テントを担いで山に入ります。混雑時の山小屋をご存知の方には説明は無用ですが、1枚の布団に2名ということも珍しくありません。

室堂ターミナルから雷鳥沢野営場まで約45分歩きますが、野営場まで短時間で到着できるのも、ここの利点で水も豊富にあります。

初めて山でテントを張るという人などは安心して楽しめますし、近くの山荘やヒュッテに行けば、日帰り温泉も楽しめますので、野営場をベースに立山を廻れば優雅な山行が請け合いです。
今回の山行は、初日は雨を覚悟していたのですが、2~3日目は写真のように好天で最高の山行を楽しめました。

朝日に輝く剱岳

 立山は、富士山・白山とあわせて三大霊山とされ信仰登山の対象とされてきましたが、立山という山があるわけではなく、一般に雄山(オヤマ)・大汝山(オオナンジヤマ)・富士ノ折立(フジノオリタテ)の三つのピークを総称して立山といいます(最高峰は大汝山の3015m)。その北側には、岩と雪の殿堂「剱岳」がデンと構えているのです。
 
 そして、富山県側から立山を拝み見て、その後ろに後立山連峰(白馬岳・唐松岳・五竜岳・針ノ木岳など)がそびえており、立山連峰と後立山連峰の間に黒部湖及び黒部ダムがあります(最近のブラタモリで放映してましたね)。
後立山連峰と黒部湖


 充実した楽しい3日間の山行でしたが、今回3日目に踏むべく山頂を、早朝のあまりの寒さで一座踏み忘れをしてしまいました。あまりに寒いので地図を取り出して確認する作業を怠ったのが原因です。
 その一座を踏むためにまた来年も立山室堂に向かうことになりそうで何とも迂闊でしたが、また楽しみが増えたと思えば、それもまた良しとしましょう。
              宮内豊文

黒部ダムから仰ぎ見る立山連峰

2017年10月12日木曜日

若いころのサッカー観戦を思ひ出して

 今日の入野は秋祭り。朝から花火が上がり、焦げたしょうゆのにおいが漂い、太鼓の音が聞こえてくる。事務所で仕事をしながらそれらを楽しんでいると、ふと、若かりし頃、本間剛と二人でジュビロスタジアムに通っていたことが思ひ出された。まだ私がヤマハ発動機の第5工場でオートバイのエンジンの組立ライン工をしていた頃の話だ。
 さて、当時のジュビロスタジアム、ゲームの行方以外にも様々な人間ドラマを見ることができて、単なるサッカー観戦以上に面白かった。
まず、客席。選手に対し、「煮干しを食え」だの「肉を食え」だの、出征した息子を心配する母親のように叫ぶ声あり。ピッチを背にして焼きそばを食べまくるサッカー少年団の姿あり。ガラガラにもかかわらず、几帳面に指定された席に背筋を伸ばし腰かけて観戦する老夫婦あり。ゴール裏で情熱的に応援するサポーターたちetc・・・。ある一つのゲームに対し、スタジアムで観戦するという点で共通の立場にありながら、それぞれ思い思いの態度でその場に立ち会っている。明治の頃、人が個性的になる一方で同時に個性を失っていると評した漱石がここにいたら、安堵しただろうか。
 また、ピッチと観客との関係も微笑ましかった。当時のジュビロにはブラジル代表のキャプテンを務めるドゥンガがいた。彼はまさに鬼教師だった。特に、サッカーを知らないうぶな味方に対し、試合中にもかかわらず、尋常じゃない形相・語気・身振り手振りで指導していた。多くの選手が怒るドゥンガと目を合わせないようにする中、二十歳そこそこのCB秀人は、立場をわきまえず食い下がることがしばしばだった。二人のけんかが始まると、観客は、「ほどほどにね!」という雰囲気でそれを見守る。ドゥンガに怒られて、試合中にもかかわらずCB誠やMF福西が泣いてしまうと、観客は「泣いてる場合じゃないだろ。しょーがねぇなぁ。」という雰囲気ながらも致し方なく若い二人を励ます。
そして、ゴンちゃん。観客は、彼のゴールは奇跡、そう思って常に固唾をのんでいる。PKはもちろん、俊哉や名波、MF奥がすべての相手選手を翻弄し、キーパーすらいない状態を作り出してからラストパスを彼に送ったとしても、観客はなお彼がゴールできると信じていない。その証左に、彼がはずせば「やっぱりね」と安堵の声があがり、逆に決めれば「おぉ・・・」とどよめきが起きた。
 一般に、20年も経つと、試合の結果だけがクローズアップされる。しかし、その場に立ち会った者には、無機質で無慈悲な結果よりも、そこで目にした人間ドラマの方が自然と心に残っているものである。ゲームは勝つことを目指して戦うものだが、それだけでは出汁をとり忘れた味噌汁のようなものなのかもしれない。
そんなことを書き進めていたら、ふと野球場のことが思い出されたので、それを紹介して筆をしまうことにしよう。
日本で一番いい球場はどこか、野球好きには興味深いテーマである。それを考察した論文の中で、一番いい球場に選ばれたのは、東京ドームや甲子園などの名だたる球場ではなく、地方球場に過ぎない富山アルペンスタジアムだった。野球のゲームと全く関係ないが、晴れわたった日にあの球場から臨む立山連峰は、それは息をのむ美しさ、そういわれる。案外、その場に生で立ち会った者にとっては、ゲームの結果や充実した設備といったものより、そうしたものの方が印象に残るのだろう。

2017年10月3日火曜日

相続案件のニーズ

4月27日投稿「離婚案件のニーズ」に続く第二弾。
今回は相続のお話。

 
私の事務所は人口3万人に満たないのどかな田舎町にあるものですから、予約なしでふらっと事務所へ来られるお客様がかなりいます。最近の相談で一番多いのは「相続」。

相続の相談で最近感じるのは、お亡くなりになったことで空き家となる不動産が以前より明らかに増えたこと。相続人間の話し合いがまとまらず、そのまま放置されてしまうと、いわゆる「空き家問題」へと発展してしまう可能性があります。
 
空き家への対処としては、①売却する、②貸す、③住む(もしくは別荘として使用する)などが考えられますが、以下のように、どれを選択するかで相続人の話し合いが難航する場合もあります。
 
相続人A「生まれ育った実家だから、すぐに売却したくない」
相続人B「空き家の状態が続くのは不用心だから、すぐに売るか、貸すべきだ」
相続人C「私達のだれかが住めばいいんじゃない?」
 
上記のように相続人の考え方がバラバラで、自分達だけでは話し合いがまとまらない。でも、相続人間の関係は決して悪くない。相続問題に詳しい中立公平な第三者に入ってもらい、お互いに顔を合わせて話し合いで解決したい。
 
そんなニーズが少なからずあるのではないか、また今後増えるのではないか、と私は思います。
 
将来、空き家が生じた場合の対処をめぐる案件に、調停センター“ふらっと”がお力になることができれば・・・本望です!
 
増田
 
 
 

 

「誇り高き職人集団」の物語~事業承継のヒント~

先日、中小企業の経営者の方々の中期経営計画のプレゼンを拝見する機会に恵まれました。
そこで、出会ったある会社の物語です。

鹿児島県に株式会社川畑瓦工業という会社があります。
老舗の瓦屋さんです。100年企業を目指して様々な取り組みをされています。
紆余曲折がありました。社長と現場が一丸となって困難に立ち向かいました。
そこで生まれたある取り組み。

自分たちの会社を「誇り高き職人集団」と定義づけしたこと。

地域の方々の認知度が上がり、下請けからの脱却に成功。
街の道路沿いに「誇り高き職人集団」という5メートル四方の看板を建てました。

誰が一番喜んだか? 

そこで働く方々のご家族だそうです。

この取り組みは、事業承継にも繋がるお話だと思い、社長さんにお願いして、
様々な機会に、ご紹介させていただけることになりました。

社長曰く、
私は事業を引き継いで、とにかく、「私の代でつぶしたくない」と
いう気持ちでやってきました。
やっているうちに、「私は、社員とその家族を守らなければいけない」
という使命感が湧いてきて今に至ります。

「日々がんばっている企業が100年続きますように」(ななみ)