2015年8月29日土曜日

肩狐狸庵ICHIの「あの日見たマークの名前を僕たちはまだ知らない」


私の庵(事務所)は、静岡県東部の中核都市、

富士市の閑静な住宅街の端にある。

 

私自身、慌ただしい日常から脱しようと

海外に足を延ばすときがある。

 

ただ、バスや電車、地下鉄など地域の公共機関を

利用したときに目に入ってくる人々の風景は、

実際、日本で見る風景とあまり変わらない。

 

まるで何かにコントロールされているかのように

自らの手の中(スマホ)を凝視している若者が

その場に自分だけの空間を作っている風景は

何処の国も同じと感じる。スマホ恐るべし!




 

さて、今回アジアのある国に出向いたとき、

日頃目にしていなかった「HALAL」という

マークを、レストラン、スーパーの店先、お菓子や

飲み物などのパッケージに見つけた。

 

ご存知の方も多いと思うが、「HALAL」は

イスラム教において合法的なもという意味で、

食品に関していえば、ムスリムの人が食べても

大丈夫というだけでなく、ムスリム以外でも

清潔で健康的な「HALAL」食品は良いもので

あることには変わりない。

 

確かに変わらないといった風景以上に

日本では見ない多民族で構成されるアジアの

国々は、互いにその価値観、認識の違いを

理解したうえで、共存共栄の道を歩いているようだ。

 




 

単一民族(諸説あり)といわれ、言わなくても

分かり合えると豪語していた日本とは違い

分からないからこそ理解しようという姿勢が

その国には伺われた。

 

かの大国も自らの思想を押し付けるのではなく

お互いを理解しようとすれば、この世界も

もっと平和になっていたのではと個人的に思う。

 

だが、「言わなくともわかりあえる」と言っていた

我が国も、現在では矢張り、話さなければ

分かり合えない社会になってきている。

 

それでも話し合うことが出来れば、

まだまだ我が国は互いを十分理解できる

土壌は存在しているし、そのような場を

例えば“ふらっと”のように提供している組織もある。

 







 

それにしても気にしだすと「HALAL」

マークは何処にでもあり、気にしなくても

アジアの大国の旅行者は騒がしくいる。

 

…あっ、「HALAL」マーク見っけ!

…「見っかっちゃった。(byHALAL)」

 

分かる人には分かるオチだが、

必要であれば話し合いましょうか。

 

2015年8月20日木曜日

フューチャーセンター@司法書士会館

昨日、青年司法書士協議会主催で、県立大学の学生さんを招き、フューチャーセンター「司法書士をもっと身近に感じてもらうためには」を開催しました。

フューチャーセンター(FC)とは、組織の中長期的課題をオープンイノベーションを目指して、話し合いによって新しいアイデアを見つけ出していくものです。

常葉大学の学生さんや社会人の方も加わっていただき、とても楽しいセッションでした。

私もそうなんですが、司法書士は頭が硬くなりがちなので、まじめにちゃんとやろうとしすぎてしまいます。ただ、それだとやはり息が詰まるんですよね・・・。

新しいアイデアを出すときには、まずは質より量。そして、自分と立場が違う人の話に耳を傾ける、この作業が大切なんだなと思いました。

ふらっとやメディエーションの普及活動に、このFCは使えますぞ!

追伸
常葉大学の学生さんが、メディエーションにとっても興味をもってました。大学生の力借りて発信していくのもいいですね!!

                                                 事務長 佐藤麻妃

2015年8月13日木曜日

言葉の発達


こんにちは。

運営委員の井上史人です。

私には、2歳半の子供がいて、今、いろいろな言葉を急速に覚えています。

両親の私たちもびっくりするほど、その場面に的確な言葉を発っするときもあり、あるときは驚かされ、あるときは、妻と爆笑してしまうこともあります。

先日お世話になっている会計事務所の事務員さんがいらっしゃって、その事務員さんにも同世代の子がいるため、前述のような話をしていたら、その事務員さんの3番目のお子さんは、まだ、言葉がうまく話せないときに、2番目のお子さんが何でも先回りで察知して手助けしてしまったため、3番目のお子さんの言葉の発達がかなり遅かったということを聞かれました。

その話を聞いたとき、言葉(コミュニケーション能力)は、自分の思いや考えを上手く伝えられないことによるストレスによって、上達するのだなということに気が付きました。

それからは、子供が何をしてほしいのかよくわからないときでも、あえて推測で考えを読み取ろうとはせず、「何がしてほしいのかきちんと言葉で話してごらん」と、話をさせるようにしています。

ふと、これは調停の場面でも通じるものがあるなと思いました。

先日の事例検討会に出席したとき、ある方が「いい調停とは、調停人ががんばりすぎない調停である。むしろ、調停人には任せておけないから当事者自身がかんばらなくてはと思う位がちょうどいい」という趣旨のことを言っていました。

どんな場面でも、他人に任せておけないという状況が人を育てるのでしょうね。

2015年8月7日金曜日

ふらっとに求められているものは・・・???

 センター長の小澤です。
 ここのところ、裁判所における調停事件に関与することが多くなっています。
 簡易裁判所における民事調停の代理人として期日に出頭したり、家庭裁判所における家事調停事件に遺言執行者の立場で期日に出頭したり。
 また、簡易裁判所における民事訴訟においても、期日において、和解交渉をする機会も少なくありません。
 さらに言えば、いわゆる当事者支援として、調停申立書の作成という形でかかわることもあります。
 共通するのは、いずれも裁判所の中で行われているという点です。
 裁判所によって選任された調停委員2名が、当事者周双方の話を聴き、合意点を見出します。
裁判所で行う話し合いの手続ですので、訴訟に比べて、一般の方にも利用しやすくなっていますし、裁判所という信頼の厚い機関で実施されることから、需要も高いわけであります。

 一方、現在、最高裁は、民事調停の機能強化を掲げております。
 これは、民事調停事件の減少が背景にあるわけですが、次のようなこともふれられています。
 すなわち、裁判外の紛争解決機関、このふらっともその一つでありますが、そのようなADR機関の増加により、裁判所の調停ではなく、ADR機関による紛争解決が行われている事件も相当数ある現状において、裁判所の民事調停に求められている機能は何か、利用者である市民が裁判所に求める機能は何か・・・というようなことであります。。
 ひとつの大きなニーズとして、裁判所の主導による公正なジャッジというものがあげられましょう。
乱暴な言い方かもしれませんが、一部の事件における調停を訴訟に近づけるイメージでしょうか。

 さて、では、ふらっとのような民間のADRセンターに求められるものは何か?
 裁判所には無くて、ふらっとにはあるものは何か?
 常にそれを考え、少しづつでも実践し、よりよい方向に変化することによって、徐々に、ふらっとが市民に認知されていくのだろうと考えているところです。