2018年2月14日水曜日

静岡マラソン

 来る3月4日(日)は、第5回の静岡マラソンが開催されます。静岡マラソンの前身は、駿府マラソンで、ハーフマラソンと10Km・5Km・3.2Kmと小学生から大人まで参加できる大会として永く市民に親しまれてきましたが、全国的なマラソンブームに乗って、平成26年の大会(第1回)からフルマラソンを中心とする大会に変更しました。

マラソンブームの火付け役は、なんといっても平成19年から始まった東京マラソンで、参加するのには今でも高い倍率の抽選を勝ち抜かなくてはなりません。

静岡マラソンがフルマラソンに変更したことに伴い参加料もそれまでの4200円から1万円と少々高額となりました。もっとも、現在の都市型マラソンの登録料はみな1万円以上ですので、静岡マラソンが特に高いというわけではありません。そもそも、マラソン大会の運営は、ランナーの参加料だけで運営することは不可能で、自治体の財政や寄付金によるところが大きく、運営は多くのボランティアに助けられています。

コースは、静岡県庁前をスタートして市内をぐるっと15Kmまわった後に安倍川沿いを河口まで下り久能海岸を旧清水市まで走り、清水駅前でゴールするというフラットで記録もねらい易いコースとなっています。

私も、この大会を照準に3時間30分を狙って毎年走っているのですが、これがなかなかクリアできません。

さて、静岡県内のマラソン大会ですが、大小様々な大会がざっと60以上開催されていて、フルマラソンは「しまだ大井川マラソンinリバティ」(10月)、「袋井クラウンメロンマラソン」(12月)、「静岡マラソン」(3月)、「掛川新茶マラソン」(4月)と4大会も開催されマラソンの環境には恵まれています。全国で開催されているフルマラソンの大会は79で、この数字からも静岡県の開催数の多さが分かりますよね。ちなみに、お隣の愛知県でのフルマラソンは「名古屋ウイメンズマラソン」が有名ですが、その名が示すとおり男性は出走できません。それ以外のフルマラソンは、同じコースを4回まわる大会が1つあるだけです。唯でさえ苦しいマラソンなのに、同じところを4回もまわるコースは厭になリますよね。

それでは、なぜ静岡にフルマラソンの大会が4つもあるのでしょうか。これは交通規制にかかわる問題が大きいのではないかと考えています。まず島田ですが、市内を4Kmほど走った後は、ゴールまで大井川の河川敷を走りますので交通規制は、市内を走り終わるまでの僅かな時間だけで済みます。そのためゴールの制限時間も7時間と極めて緩やかに設定されています。袋井のスタートとゴールは「エコパスタジアム」、掛川のスタートとゴールは「つま恋」といずれも市街地から離れていて、コースは田・茶畑の間や山の中を走り市街地は僅かです。したがって袋井と掛川は、起伏の激しいコースとなっており記録を狙うには不向きです。参加料は、島田が7500円、袋井・掛川は、いずれも6000円です。

静岡マラソンは、市街地も走ることから、大規模な交通規制を行う必要があり、ボランティアを含めて、多くの人の協力で成り立っています。

春を迎えるにふさわしい静岡マラソンですが、いつか皆さんも挑戦してみませんか。完走後にはきっとすばらしい景色が見えるはずですよ。

宮内豊文

2018年2月9日金曜日

私の祖母

私の祖母は20年ぐらい前に亡くなりました。孫の私にとっては気楽な人でした。先日、祖母が残した手記が見つかりました。満州から引き揚げてくる道中のことを書いたものでした

「山の上に軍人らしい日本人がいるとの話を聞いてソ連兵が飛んで来て「戦いに使用するものがあるだろう。出すように。もし探して出てきたときには全員撃ち殺す」と機関銃をバリバリ撃ち始めた。」

「次の日夜十二時ころ、周辺の部落の暴民が馬に乗って略奪に来た。…翌晩も十二時ごろになるとまた襲ってきた。私達は子供を連れて草むらに潜んで逃げた。運悪く梅村さんの子供さんが脱腸で痛みが激しく、大きい声をあげるので、聞こえるのを恐れてお母さんが子供さんを布団に包んで逃げた。馬賊が引き揚げたので子供のそばに戻り布団から出したところ、子供さんは息絶えてしまっていた。

「日の丸の旗が子供のパンツに使用されているのを見た時は、とてもやりきれない気分でした。負けたというのは惨めなもの、いつも小さくなって過ごしてきた。」

「朝早くから、表が騒がしく何かと思って外に出ると、台の上に日本の男の人が立っている。回りには沢山の外国人。…年をとった外国人が「スーラ、スーラ。」と叫ぶ。…間もなく「ダダーン」とピストルの音がして台上の日本人郵便局長は倒れた。外国人が台上にかけ上がり、着ているものは勿論下帯まで持ち去った。この肉親の惨劇を目の前にした局長さんの奥さんは、この様子に気が転倒したのでしょう。二人の男の子を残して山に逃げてしまったままついに帰って来なかった。子供のためにも一緒に強く生き抜いてほしかった。

「ある奥さんがお産をしたが、乳が出ず他に与えるものがない。赤ちゃんが日増しに小さくなっていく。私は見ておれず砂糖でもあったらと町へ出た。どこへ行っても日本人には売ってくれない。途端に外国の兵隊につかまってしまって時計をとられそうになった。…ようやく釈放されて宿舎に戻った。急いで赤ちゃんのところへ行ってみると死んでしまっていた。お母さんが乳の出ない乳房をつくづく見ていた。親の愛情を与えることが出来なく冷たくなった子供をいつまでも抱えて離さなかった。」

一人の工員さんがしきりと鏡を見ていた。鏡の中に遠い日本の姿を求めているようだった。手を握ってあげた。やせた冷たい手だった。その夜遠いところへ旅立ってしまった。そっと鏡を持たしてあげた。

外国の女の兵隊が日本人を並べて持ち物を調べていた。私達の前に来て子供が持っている人形を見て「アイヤ―テンハオ…」と言って取り上げられた。驚いたが子供は声一つ出さず私の顔を見た。私は「日本に帰るともっと大きなのを作ってあげるからね」と言って納得させたが、納得出来ないのは私の方で、あの人形にはありったけのお金が入っているのにこれから先どうしたら良いやらと思っていた矢先、突然大きいピストルの音がして男の人が倒れた。風呂敷包みを取られそうになり手を出したためで、撃ったのは先ほど子供の手から人形を取り上げた兵隊だった。

「中国人の子供が「シンジョウ、シンジョウ」と言って子供に何か持たしてくれた。お金だった。たとえ少なくとも、心が有難く「シェシェ」と何度もお礼を言って別れたが、思わぬ嬉しい贈り物に、この子供達が大きくなった時には、手を取りあって仲良く行けるようになるだろうと、明るい気分になって足の痛みも忘れて歩きつづけた。口が乾いたので川の水をすくって飲んだ。少し上の方で豚を洗っていた。」

「お金がないから何も買うことが出来ない。中国人の家に洗濯に出掛けた。出るときはいつも子供と二人で行くようにした。ある日訪れた家は前に日本人が住んでいたらしく日本の下駄が隅の方においてあったのが哀れであった。この家の奥さんが気の毒だと、私たちを食堂に案内してくれて真白いご飯をお皿一杯出してくれた。子供は驚いた様子で久しぶりの白いご飯に飛んで行って手づかみで食べはじめた。私は悲しくて涙が出た。こうなったのも戦争のためだ。…表に出た。子供の欲しがった「りんごと豆腐」を買って帰った。子供は「あしたもまた今日の家に洗濯に行こう」と言ったが…「あしたは休みたい」と言ってその場を繕った。

 祖母は、私の母を連れて、終戦の翌年、昭和21年10月20日に佐世保港に着いたそうです。焼け野原の広島を通り、故郷の浜松に帰った後も、どうも苦労は続いたようで・・・。母からの伝聞ですが、床の上でご飯を食べる祖父(祖母の夫ですね。)の家族とは別に土間に座ってご飯を食べたり、私の母の給食費を借りに姉の嫁ぎ先に行ったときに「お前に貸す金はない。」と断られたりしたそうです。

 本当、ご苦労様でした。私だったら耐えられそうもないかな。でも、繰り返しになりますが、私の知っている祖母は気楽な人でした。外国人から耐え難い屈辱も受けたでしょうに、笑い話はしても、恨めしいことは何もいいませんでした。
ここまで書いてきて、ふと酒井さんの奥さんのことが思い出されました。話の流れで奥さんが掃除をしない、ご飯を作るのが面倒という話になったとき、「掃除しなくても死なないら。一日ぐらい食べなくても死なないら。」と笑っていっていたような・・・。

小楠

2018年1月31日水曜日

遺産分割案件のニーズ 2

 遺産分け  不思議な人が  席につく
         (三菱UFJ信託銀行・遺言川柳 其の参より)


このところ、相続に関する相談がとても増えています。

私の所属する静岡県司法書士会志太榛原支部では、2月3日(土)「相続・遺言セミナー&相談会」を4市2町・6会場で開催する予定ですが、セミナーに関する問い合わせや相談予約が毎日寄せられており、相続問題への関心の高さを改めて実感しています。

 今は兄弟姉妹の仲が悪くないとしても、親が亡くなり、遺産を分ける段階になると、その兄弟姉妹の連れ添い(配偶者)が口を出してきて、なかなか話がまとまらないということは、よくある話です。

 お亡くなりになったかたが、生前、適法な遺言書を作成していた場合は、相続人のみなさんが集まって遺産分けの話(「遺産分割協議」といいます)をする必要はありません。

 一方、遺言書を作成していない場合、相続人が複数であれば、全員で遺産分割協議をしなければなりません。そして、その協議がまとまらなければ、家庭裁判所において話し合う必要(「遺産分割調停」といいます)が生じてしまいます。

 遺産分割調停において話がまとまるのであればよいのですが、なかには、親族間の話を裁判所に行ってまでしたくないという理由から、遺産分割調停を申し立てずに放置してしまうケースがあります。

 また、相続人間の仲は全く悪くないけれど、法律に詳しい第三者を交えて、アドバイスを受けながら話し合いを進めたいというニーズも少なからず存在すると思います。

 前回、私は、「離婚案件のニーズ」というタイトルで、調停センター“ふらっと”で離婚案件を扱うことができればと書きましたが、相続案件についても扱うことができるようになれば、みなさんのお役に立つことができると考えています。

弁護士さんにお力を貸して頂き、“ふらっと”が、相続や離婚問題を扱うことができるようになればと、夢見るこの頃です。    (増田真也)
 
 
 


 
 


2018年1月30日火曜日

ピア・サポート研修会に参加してきました!

平成30年1月27日・28日の2日間、浜松市において日本ピア・サポート学会東海・北陸ブロックのトレーナー養成研修会が開催されました。
地元浜松市を中心に南は沖縄県、北は青森県から約100名の方々が参加され、私も実行委員兼受講生として参加させていただきました。
ピア・サポートはいじめや不登校を防ぐ手法として、近年注目されています。
日本司法書士会連合会からも子供の権利擁護の担当理事の方が参加するなど、学校現場だけでなく、各分野で注目され始めています。
仲間同士の相互援助の考え方は、どの時代でもとても大切な考え方になると思います。
微力ながら、今後もピア・サポート活動とは関わっていきたいと思います。
(名波)



2018年1月17日水曜日

視野を広げる

皆様。2018年も早くも1月中旬となりました。
いかがお過ごしでしょうか。
 
中里さんと同じく、私も年末年始は海外にいました。
 
場所は・・・・
 
アイスランド!
 
近頃、「イッテQ」や「陸海空~」などのバラエティ番組
でも特集された国です。
北極に近い緯度のため国名のとおり、
数々の氷河がある氷の国です。
 
アイスランドの冬はとにかく暗い。
冬季の1日の日照時間はなんと3時間。
しかも日本のようによく晴れた空は存在しません。
朝10時でもまだ暗い。
日の出は11時半ごろ、そして3時から4時にはもう暗くなります。
日本に帰国して、日の光がとても気持ちよかったです。
 
壮大な自然に身を置くと、自分の視野の狭さに気づかされます。
 
同じ人間が、同じ今という時代に生きている。
にもかかわらず、環境が違えば、価値観も変わり、
「当たり前」も違う場所に行けば「当たり前ではない」となるのです。
 
日本とアイスランドほどわかりやすく環境が違えば
多様性を認めることができやすいのかもしてません。
しかし、日本でも、それは同じこと。
住む環境や、生まれ育った背景、
関わってきた人々によって多様性は生まれているのです。
 
毎日の生活に追われて狭くなってしまった視野を
真っ青な氷河と凍てつく寒さが強制的にリセットしてくれました。
 
今年も”ふらっと”のメンバーとともに
新しいことに挑戦し、多様性を認めあえる世の中になるよう
貢献していきたいです。
 
副センター長 芝 知美
 
 
 
 
 
 

2018年1月15日月曜日

台湾上陸!

【士林夜市】 台湾最大の夜市だそうです。
初めて異国の地で年越しを迎えました。

近代化したビル群と、屋台が居並ぶ夜市の喧騒が隣り合わせし、いくら歩き回っても飽きることがない魅力的な街。
台湾は、そんな街でした。
ただし、いつも苦労するのが言葉。
英語のやりとりは、私より中学生になる子供らの方が役立ってました・・・
これも、コミュニケーションの勉強?

(中里)

【九份】 『千と千尋の神隠し』の舞台!



2017年12月28日木曜日

感謝!

クリスマスも終わり、何となくみんなせわしなくなり年末モード。
今年もいよいよあともう少しですね。皆様にとって今年はどんな年でしたでしょうか。

私にとって今年は特に周りの人の支えに感謝する一年でした。仕事はもちろんのこと、仕事以外でもいろいろなことにチャレンジさせて貰いました。でもそうしたチャレンジが出来るのは、そのチャレンジ出来るステージに立てるようにしてくれる人や裏方でそのステージを用意してくれる人がいるからなんですよね。そのたくさんの「誰か」に支えて貰えているから自分が挑戦出来る幸せを感じることが出来るのだと。
これは今年に大切な人をなくしてしまった時に改めてその人から教えて貰いました。

「終わりは始まり」。大切な何かを失ってしまったのは、その大切な何かが無い生活の始まりということ。終わることを悲しむよりも何かが始まることに喜びを感じながら来年もまた頑張っていきたいと思います。

2018年が皆様にとって良い年でありますように・・・

佐藤圭