2014年12月21日日曜日

無題

何を書いて良いかアイデアが出てきません・・・
感性が枯れてきているのかなと思います(汗)
子供の頃のような多感性は不要だけど、もう少し感性を磨きたい。
どうしたらよいか?
漫然と日々を送るのでなく、変化に富んだ生活をするしかないだろう。
生活習慣を変えてみる。
嫌な仕事でも受けてみる。
付き合う人を変えてみる。

仕事が出来る人や人望がある人って、感性が鋭い人が多いと思う。(個人的見解です)
言い換えると、機微が分かるみたいな。
調停人にも必要とされる能力ではないでしょうか?

池谷大介

2014年12月9日火曜日

Barn's burnt down, now I can see the moon



 昨年だったか、兵庫県の灘に行ってきました。

 灘五郷(今津・西宮・魚崎・御影・西)は、豊かな水に恵まれ、地元兵庫の米を使って杜氏による長い経験と勘による酒作りが行われてきた、灘の生一本という言葉でも知られている日本屈指の酒蔵の街です。
 日本酒好きにはたまらない・・・といいつつ、名だたる酒蔵の見学を。

 阪神淡路大震災での延々と炎に包まれる東灘区の光景が今でも私の目に焼き付いていましたが、今では街はすっかり、新しくなり、高層マンションが静かに立ち並ぶ間に、有名酒蔵の工場が点在していました。

 ある小規模の酒蔵で各種ある日本酒の中で、杜氏がすすめた「空藏」というお酒の銘柄の由来についてお話を伺いました。

「平成7年1月17日、
  神戸を大震災がおそった。一面の瓦 
 の中で杜氏はつぶやいた。   
 『蔵もつぶれて空しか見えない』と。
  あの日空をあおいだ同じ場所から
  新たな酒は生まれた。・・・・・」

 代々引き継がれてきたものがつまった酒蔵も崩れ落ち焼け落ちてしまった後、ゼロからの出発を決意した言葉だった と。
 
 
 この話からふと思い出した一句があります。元禄元年、自分の蔵が類焼した際、この一句を詠み平然としていたことを松尾芭蕉が聞き、「是こそ風雅の魂なれ」「その者ゆかし」と言い、便りを行き来することになり、師弟の契りが結ばれた水田正英の一句です。
          
     蔵焼けて さはるものなき月見哉

蔵は焼けてしまったけれど、蔵があったときには気付かなかった、蔵がなくなって初めて気づいたよ、ああ、いい月見だな。
あるべきであると思っていたものもなくなってみると新しい視点でものが見えるという意味かしら?
 既存の概念を打ち壊してみると、新たな世界が広がる。
 
 相容れない意見であっても、耳を傾けて理解しようとしてみたら、ふっと新たな世界が広がる、これぞはなしあいの原点かもしれませんね。                      御 室
                                                                      


2014年11月19日水曜日

説教という接客



ふらっとのブログはコミュニケーションに関するテーマについて書く、という縛りがある(かなりユルいけれど)のですが、今回は、他者とのコミュニケーションを図る機会としては回数の多い、自分が客として買い物をしようとしたときに経験した出来事について書いてみようと思います。
 
世間一般では、買物をしようとしてお店の人に説教されるという経験は、それほど珍しいことではない・・・のかも知れません。
ですが、靴のサイズを26センチだと答えただけで20分程も説教されるという経験はあまりないのではないでしょうか?

ある日、私がブーツを買おうとして、ある店に入ったところ、ちょうど探していたタイプのブーツが展示されていて、しかもセール中ということで3割引きなのを発見しました。
さっそくお店の方に声をかけ、26センチの在庫があるかどうか確認してもらおうとすると、「あなたの足が26センチのはずがない!」という言葉を皮切りに、延々とお説教されてしまったのです。

初めは「なんで靴を買おうとするだけでこんなに怒られてんの?」と思ったのですが、指摘されたことがことごとく当たってるんですよね。靴のつま先がどぶ板の穴に引っかかりやすいだろうとか、靴を脱いだ時に足の指が曲がっているのは靴が大きいから靴の中で足がずれないようにいつも指で踏ん張っていて、癖になっているからだとか。ついでに言うとサイズも私の足を一目見ただけで、ぴったりなものを出してくれました。
お説教されて嬉しい人は少ないと思いますが、ぐうの音も出ないほどに正論を並べられると納得せざるを得ないし、相手の言葉に耳を傾けたくなってきたのです。
 
細かなサイズの調整をしてもらっている間にも靴のことで説教されていたのですが、その次に靴を買うときにも、自然とその店に足が向かっていました。説教されたことでその店のファンになってしまった、ということです
耳触りのいい言葉だけがよい接客ではないのだという、貴重な体験でした。真似するのは難しいですけれど・・・。

竹下

2014年11月13日木曜日

聖マルティヌスの日

11月11日は、聖マルティヌスの日だそうです。
ポッキーの日でもありますが・・・。
聖マルティヌスとは、キリスト教の聖人の一人で、元々は兵士だったのですが、
その後、キリスト教の洗礼を受け、司教となりました。
マルティヌスは、兵士の頃、雪の中で凍えていた半裸の物乞いに、
自らのマントを半分裂いて与えました。
その夜、マルティヌスの夢の中に、半分のマントをまとったイエス・キリストが現れ、
「まだ受洗もしていない兵士マルティヌスが、私にこのマントをくれた」と言ったそうです。
この物乞いはイエス自身であったと言い伝えられています。

私は、キリスト教信者ではありませんが、娘の通うシュタイナー教室では、
毎年、この時期に、このマルティヌスの話を聞きながら、人型のパン(ドイツでは、
ヴェックマンというようです)をみんなで分け合って食べます。

マルティヌスが、物乞いにマントを全部与えるのではなく、半分に裂いて与えたのは、
相手を助けつつ、自らも凍えてしまわないように、ということだそうです。
相手も、自分も大事にすることが大切なのだそうです。
まさに、ウィン・ウィンですね。

大竹

2014年10月22日水曜日

当たり前だと思っていたのに・・・・・

最近、ちょっとしたことがありました。

秋になり、柿のおいしい季節になりました。

ひょんな事から柿をもらうことができ、皆で柿を食べました。

さて、皆さん柿は皮をむいて食べますか?皮ごと食べますか?

私は柿は皮ごと食べます。皮ごと食べることが普通だと思っていました。

私が柿を食べていると周りから奇妙なものをみるような視線を感じました。

どうしたの?と聞いてみると、
皆は、柿は皮をむいて食べるのが当たり前だとのこと。

自分が当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではない。

小さなことですが、そんなことを感じました。

ちなみに、静岡県の柿の生産量は全国11位だそうです。

                                                       渡 辺

2014年9月22日月曜日

全青司ふくおか全国研修会

9月20日、21日に福岡で開催された標記研修会に参加してきました。


参考:全青司ふくおか全国研修会HP
http://www.kntbc.jp/zenseishi-fukuoka/


この全青司(全国青年司法書士協議会)主催の全国研修会は、年1回開催されています。
(3年ほど前に浜松でも開催しました。)


研修会の基調講演は、あの有名な尾木直樹さん(尾木ママ)でした。
(撮影禁止だったので画像ありません。すみません。)


ホールの3階席が一般に開放されていたのですが、さすが尾木ママ。


司法書士用の席は空席がちらほらあったのにそこだけ満席ですごい熱気。


尾木ママが3階席に呼びかけると3階席全員がクイックレスポンス。


「これは全青司の全国研修会なのか」と一瞬自分がどこにいるのかわからなくなりました。
(そのくらいいつもの全国研修会の基調講演と雰囲気が違う!)


とりあえず大人になっても親子でお風呂に入っている人がいることを知りました。
(あの有名人親子もそうだったとは…。)


あなたの隣にも案外そういう人がいるかもしれません。


このお風呂の問題を尾木ママは研究者としてすでに理論付できているようでしたが、その辺の解説はありませんでした。


尾木ママは、本をたくさん出している(200冊!)ようなので、このお風呂問題のことを書いている本を今度探して読んでみたいと思います。



宮内







肩狐狸庵ICHIの「あさましき夢みし」

私の庵(事務所)は、静岡県東部の中核都市、

富士市の閑静な住宅街の端にある。


夢を見た…


大人の事情により「Dえもん」とするが、

あの四次元ポケットから出てくる

どこでもドア等の道具には

ワクワクさせられたことを覚えている。


だが今の私は、単純にDえもんが出す

「夢」のような道具に心躍らせるような

ことはなく大人で、安易に「夢」のような道具を

提供するDえもんの行動には苦言を呈するし、

「おいおい、そんな道具を使えば、

住居侵入罪で、3年以下の懲役

または10万円以下の罰金に処せられるちゃうよ」

と、ニヒルに微笑んだりもするだろう。


だが、開発者(または、開発を夢見る者)の

Sかちゃんのお風呂を覗きたいという素直な

欲望いや「夢」が、やがて空間さえ超越する

素晴らしい発明品を作り上げるやもしれない。


そう思うと、やはり夢は捨てられないね。


どうも大人になると、夢を自ら否定する

傾向が顕著になる。諦観とでもいうのか…


そんな大人では、未来だけでなく、

目の前の現実さえ変えることもできないと反省する。


たとえ実現不可能と思えても

やはり「夢」は追い続けなくてはね。


「じゃあ、Dえもん!「夢」実現のため

四次元ポケットから…」

成長しないNび太君である。


…気が付くと、自分の体は透明になり

 他人からは全く見えない。

「やった、とうとう夢見ていた悪魔の実、

スケスケの実を開発した!!」

「これで堂々とSかちゃんのおふ…」

明るい未来を示唆する夢…なわけないか。

2014年8月31日日曜日

ふらっと第2章の幕開け?!

こんにちは。
事務長の佐藤です。
夏も終わり、秋の気配を感じる今日この頃ですが、いかがお過ごしですか。
今日は、ふらっと第2章の幕開けを予感させる出来事が。

それは、静岡県司法書士会主催の第2回裁判事務研修に出席した際の出来事。
講師は常葉大学の梶村太市教授で、「家事調停技法(離婚調停の現状と問題点)」
という講義でした。

そこで、思いがけず梶村先生がふらっとの宣伝をたくさんしてくださったのですが、
その中で興味深いお話が。

現在、民事調停が減少傾向にある中で、家事調停だけは増加しているそうです。
家事には、離婚、相続、養育、高齢者の問題など様々ですが、私はこの傾向はわかる
気がします。
家事事件というのは、逃げようがない問題です。離婚したいけど相手が応じない場合、
泣き寝入りなんてできないですよね。なんとしても解決(離婚)しようと当事者は必死に
なります。こういった家事事件特有の性質が、この「家事調停だけが増加している」ことの
理由だと思います。

そして、家事にはやはり調停です。
これは、いろんな想いや調整は、「話し合い」でないとできないからです。

ふらっとでは現在家事事件は扱えませんが、「調停(話し合い)」は確実に求められています。
利用者のニーズを検証し、ふらっとも変化すべきときが来ているのかもしれません。


ふらっと第2章の幕開け  

まだまだ一筋の光も見えていないかもしれないけれど立ち止まってはいられません。  

2014年8月20日水曜日

メラビアンの法則



我が家は、私と妻と一歳半の娘の3人家族です。
娘はまだ話ができませんが、私と妻の行動をよく観察して真似をします。
たとえば、私が事務所のキャビネットの鍵を掛けると、その後、鍵を持ってキャビネットの鍵穴に鍵を入れてみようとしたり、食事の時は、両親の食べているものを欲しがったり、箸を持とうとしたり。
言葉は話せなくても、人の行動や話していることの意味は、なんとなく理解しているようです。
司法書士会のADRに関する研修でメラビアンの法則というのを学んだのを思い出しました。心理学者アルバート・メラビアンによると、人は、言語で7%、身体で55%、音声で38%の情報をキャッチするそうです。人は、身体、つまり他人の見た目や行動から55%もの情報をキャッチしているわけです。
我が家の一歳半の娘も、言語でコミュニケーションが取れなくても、大人の行動を見ているだけで、55%はその意味を理解しているということですよね。
就職面接の場面などで、よく人は第一印象で判断されると言いますが、メラビアンの法則で考えると、面接で相手がキャッチする情報は、会話の内容よりも、見た目や行動による情報が半分以上を占めているということになります。
紙面に記載すれば、同じことを言っていても、会話における相手の表情や、抑揚、言い方一つで印象がかなり変わりますよね。
人がキャッチする情報は、会話の内容(言語)よりも、外見や行動(身体)で半分以上が占められているいうことを普段から意識しておけば、自分をより良く見せることができるかも。
井上史人

2014年7月29日火曜日

二人だけ

我が家では昨年春に二女が大学進学し、妻と二人だけの生活が始まりました。

学校や塾への送り迎えや受験の心配などからは解放されたわけですが、これまで子供たち中心の家庭生活がガラリと変わったわけです。

それまで家で夫婦の会話といえば子供のことばかりだったのですが、「さて何を話したものか・・・」

テレビも、妻はドラマ、私はバラエティーですし・・・仕事のことは家では話さないようにしてますので・・・(沈黙)

ふらっとの委員を退いてから、“メディエーション”等とは縁遠くなっていましたが、ここは“メディエーション”で学んだことを活かすときでしょうか~                                                ハナダ       

2014年7月15日火曜日

センター長の小澤です

センター長の小澤です。

 現在、私は、日本司法書士会連合会の常任理事として、ADRを推進する委員会の担当もさせていただいております。
 
 本年3月17日,法務省に設置された「ADR法に関する検討会」(構成員:法律実務家,学者,有識者等)は,法務大臣に対して,「ADR法に関する検討会報告書」を提出しました。

 この報告書は,裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律(ADR法)附則第2条で,「政府は,(中略)この法律の施行の状況について検討を加え,必要があると認めるときは,その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。」と規定されていることを受け,同検討会において議論を行い,その結果を取りまとめたものです。

  報告書の詳細は、こちらです。http://www.moj.go.jp/housei/adr/housei09_00059.html
 
    そして、この報告書の主要項目の一つとして、
 
「各ADR事業者の専門性・特殊性や当該ADRを利用する利点等を整理した一覧性のある資料を作成するなどの活動を通じて,各事業者の意識化・明確化を促進すべき。」

とされております。
 
 これを受けて、法務省に「かいけつサポート」のページが開設され、ここに認証ADRセンターの一覧が掲載されています。

 是非ご覧になってください。
 
 http://www.moj.go.jp/KANBOU/ADR/

 

2014年7月14日月曜日

たゆたえども沈まず


人生よいことばかりではないですよね・・・

 
と、いきなり始めましたが、私が今、絶望の縁に立っているというわけではありません。

Fluctuat nec mergitur

「たゆたえども沈まず」という意味のラテン語で、フランス・パリ市の紋章(帆掛け船)に書かれています。

古来、パリの中心部に大きな勢力を持っていたセーヌ川水運組合の紋章にラテン語で書かれていた言葉です。
 
たゆたう(揺蕩う)
『ゆらゆらと揺れ動いて定まらない。ただよう。』[広辞苑]

どんなに自然が猛威を振るってセーヌ川の波に船が揺さぶられたとしても、船は沈まない、沈ませてなるものかという船乗りの心意気を表しています。

誰にでも逆境に立たされることがある。そんなときは、あがいていい、もがいていい。沈まぬように、潰れぬように気をつければ、必ず乗り越えられる。

取り返しのつかない(と思えるほど)大きなミスをしてしまったときなど、自分なりの崖っぷちに追い込まれたとき、私はこの言葉を思い出します。学生の頃、フランス語の辞書(私はフランス語を専攻していました)の表紙に「Fluctuat nec mergiturと自分で書いたこともありました。
 
我慢に我慢を重ねて、あるとき耐え切れなくなってポキリと折れてしまわぬよう、ゆらゆらと揺れ動く帆掛け船のように。

我々司法書士や弁護士などの「士業」においても自死が問題になっているという話を聞いて、思いました。
                                                       増田真也

2014年7月10日木曜日

ケースマネージャーの悩み③

どこまで相手方に踏み込むか?

調停の席についてもらいたい気持ちが強まると、相手方の要望を聞き入れたり相手方の言い分に耳を傾けたりしがちです。
しかし、中立・公平・公正を理念におく「ふらっと」の調停では、ケースマネージャーの相手方への極端な肩入れが調停の進行に思わぬ障害を与える可能性もあります。

「ふらっと」への猜疑心でいっぱいの相手方に対し、その疑問や不安を取り除きながらも一定の距離を保つことが、ケースマネージャーに求められるんです。    (中里)

Win‐Winの順番

Win‐Winは、ふらっとが目指す理想の形です。
話し合いによって、お互いが納得することを意味しています。

話し合いの中では、ついつい自分のWin(納得)を
先に目指してしまいます。
確かに、自分が納得できなくて話し合いをしているのですから
当たり前かもしれません。

WinーWin大切さはわかっているけど、
まずは自分のWinが先。
自分が納得できたら、相手が納得できるように
少しくらい考えてあげてもいいかなという感じですよね。

でも、お互いが自分のWinを優先しているうちは、
平行線のスパイラルからは抜け出すことはできません。

実は、この平行線のスパイラルを抜け出すきっかけが、
相手の心の中に生まれるWinの種なのです。

Winの種とは、相手のことを理解することから生まれる
相手の心の中のスペースです。相手の心にスペースができると
自分の言葉や思いがそこに入り込みます。
すると、相手も自分のことを理解しはじめるのです。
つまり、自分の心の中に相手の言葉や思いを受け止める
スペースを先に作ることと言ってもいいかもしれません。

理解することで理解されるのです。

相手のWinが先、自分のWinが後。
Win‐Winには順番があるのです。

副センター長 名波直紀

2014年7月3日木曜日

ケースマネージャーの悩み②

ファーストコンタクトをどうするか?

一番簡単なのは、申込人が相手方への連絡方法を指定してくれているケース。
しかも、申込人から相手方に「こういう方法でこういうところから連絡が入る」と伝えてくれてあればベスト。

でも、そんな至れり尽くせりの申込人は、そうはいません。
だいたいが、トラブルの相手方にあえて連絡なんてしたくない! と考える方がふつうです。

電話? 手紙? メール?
電話なら携帯でもいいの? 時間帯は?
手紙なら文面は?
それとも会ってみる?
いきなり訪問するのもどうだろう・・・

ケースマネージャーは、相手方の年齢や職業、生活スタイル等に思いを馳せ、効果的なファーストコンタクトを選択しているのです!  (中里)

ケースマネージャーの悩み①

新シリーズを始めることにします。
(前回は中途半端に終わっちゃいました。機会があれば続きを書きますが、一旦終了。ご容赦を!)。

ADRの肝は、「いかに相手方を調停の席に着かせるか」だそうです。
この、合意成立のための重要なファクターを担うのが、ケースマネージャー。

ある日突然、「ふらっと」という得体の知れぬ組織から電話を受けた相手方。
「巷で流行りの詐欺話か?」と警戒しながら話を聞いていると、自分が抱えるトラブルについて「話し合いをしてみないか」だって???

多くのケースで、初動における相手方の「ふらっと」に対する印象はこんな感じじゃないのかと推測します。
この状態から「席に着かせる」ことは、並大抵の作業ではありません。

ケースマネージャーは、この大仕事を担うため、さまざまな悩みを抱えながら日々修練を重ねています。
はたから見れば、「そんなのどーでもいいじゃん!」というようなことにまで、真剣に悩み苦悩するケースマネージャーの姿を、少しずつご紹介してみます。

調停のウラ事情、少しでも知っていただければ幸いです。  (中里)

2014年7月2日水曜日

Rcafeしずおか コミュニケーションを学ぶ時代






平成21年から静岡県青年司法書士協議会主催で
2カ月に1度、「Rcafeしずおか」を開催しています。
”ふらっと”の指定研修になっていることもあり、
”ふらっと”のメンバーも多数参加しています!

Rcafeしずおかでは、コミュニケーション・メディエーション
を学んでいます。
どなたでも参加できます。無料です。


獣医師、農家、経営者、会社員、主婦、学生
公務員、弁護士、司法書士、社会保険労務士、
行政書士、土地家屋調査士、美容師、教員・・・などなど
口コミで参加者は増え、異業種交流の場にも
なっています。


「コミュニケーション」なしで生きていける世の中は
ありません。
夫婦・親子・友人関係・職場の人間関係等
人間関係で悩む人は少なくありません。

どうせなら楽しく、学んでみませんか?


次回、Rcafeしずおかは、平成26年7月18日(金)
19時から静岡県司法書士会


講師は”ふらっと”副センター長名波直紀さんです!!
『信頼のチカラ』と題して、お送りします。
お楽しみに。

参加希望者はふらっとまでお問い合わせください。

2014年6月26日木曜日

「いのち」の重み


 昨年、「全国中学生人権作文コンテスト」に入賞した静岡県内の中学生の作品を紹介します。

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祖父が胃ろうになったのはもう二年以上前のことだ。脳こうそくの発症から痴呆がひどくなり、(中略)最後に食べることもできなくなった。

医師から話があると言われ、祖母と母が、祖父が入院していた病院に駆け付けると、医師は「胃ろうにしますか、どうしますか。」と聞いた。母はその時初めて胃ろうにしないという選択があることを知り、「胃ろうにしないとどうなりますか。」と問い返した。すると医師は、「申し上げにくいですが、簡単に言うと徐々に体力が弱まります。栄養がとれないわけですから。」と答えた。祖母も母も胃ろうにしないという選択はできなかった。(中略)それから二年、祖父は生きている。

(中略)ただ眠ることしかできない祖父を見て、母は「胃ろうの選択をしたことが正しかったのか今でも分からない。お父さんをただ苦しめているだけなのかもしれない。」と言う。(中略)祖父にはもう脳の働きがほとんどないのだという。(中略)できるのは、そこにいて、ベッドに横になっていることだけだ。

祖父は今のこの姿を望んでいるのだろうか。幸せなんだろうか。はがゆい思いが沸き上がるけれど、母も祖母も結論が出せなかったように、私にもこの問題は重すぎて、答えを導き出すことができない。

祖父をもはや人でないと言ってしまうのは簡単だ。でも家族はそうは思えない。祖父は祖母が来たことなんて分からないのに、祖母は二日に一回は祖父のもとへ通い、のびたひげをそり、歯をみがき、耳のそうじをして「また来るからね。」と言って帰る。何も分からなくなり、何も言わないけれど、祖父は家族にとって祖父なのだと思う。

しかしその一方で、祖母は「私は胃ろうにしないで。」と言う。「頑張って生きてきたから、自分の力で生きられなくなったら、それでもう十分。自分が自分だと分からないのに生きていても、なんだか間違っている気がするんだよね。」

祖父には胃ろうを選択し、自らは嫌という祖母。祖母にとっても祖父の「いのち」は大切すぎて、自分の意志ではその終わりを決めることなどできないのだと思う。その一方で祖父の人としての尊厳は守られていると思えない。

大切なのは祖父の意志だったのかもしれない。しかし祖父の意志はもう聞くことができない。母は、「お父さんはきっとこんな管はずしてくれと言うだろうな。」と言うけれど、

「でもね、お父さんの本当の気持ち、死を目の前にした時の気持ち、お父さんにだって元気なうちは分からなかったんじゃないのかな。」

「いのち」の重み、「いのち」の大切さ。人としての在り方の難しさ。言葉だけではなくて、祖父は「いのち」の持つ苦しみや悲しさ、それを含めた重みを教えてくれた。私は今でも祖父が幸せなのかどうなのかは分からない。でも祖父の「いのち」のある限り、その重みのつらさに向き合っていくことが、今私にできる人としての在り方だと心から思っている。

…………………………………………………………………………………………………………

 この作品を読んで思わず目頭が熱くなってしまった。私たちがいつも行く療養病院などでよく見かける光景だ。「家族」として、管で命がつながっている祖父を見て、この中学生は「いのちの重み」を感じ、これからも向き合っていくという。

 自分たち大人も家族が同じような場面に遭遇したとき、果たしてこの状況、この問題に向き合っていけるのだろうか。仕事を言い訳にして逃げてしまわないだろうか。そんなことを考えています。

池谷道男

2014年6月23日月曜日

「うん、ちょうどいい。」


私達は、丘の上にある中華料理店で少し遅めの昼食を済ませて、支払いのためレジに向かった。対応してくれた店員の女性は、まだ片言の日本語しか話さないらしい。私は、おつりが無いように、代金をレジ机の上に置いた。彼女はそれをゆっくり片手に乗せると、もう一方の手の人差し指で真剣な表情で数えはじめた。そして、数え終わると顔を上げ、にっこり笑ってこう言った。

「うん、ちょうどいい。」
私達は、一瞬顔を見合わせ、そして、
「ご馳走さま、おいしかったです。」
と言って店を後にした。私は、口元だけではなく目元も微笑み返しに協力したことを感じとった。

  いつものレジでのやりとりは、決まっている。こんなときは多分、
「ちょうど頂きました、ありがとうございました。」
と返ってくるはずだ。

 「ちょうどいい・・・」
この言葉を、日本語使いに慣れている私は、こんな風には使えない。

 「ちょうど頂きました。」は、相手が天秤に先に重りを載せて、こちらが釣り合うだけの重りを載せた場合に返ってくる言葉のイメージで、どちらかというと一方通行。
「ちょうどいい」は、お互いが重りを載せて、釣り合う「支点」を協力して探し当てたときに聞けそうな響きで、なんとなく心が通っている感じで心地良い。

調停を支えるって、「ちょうどいい」探しを見守ることかもしれませんね!

                                     管理人

2014年6月18日水曜日

車の割り込み

私は通勤でも仕事でも車を使います。渋滞しているとき、横から無理に割り込んでくる車に苛立つことがあります。

今年2月、大雪の日がありました。静岡では山間部をのぞいて雪が降ることはめったになく、その日も雪の影響は何もない、と思っていたのですが…、
コンビニに商品がありません!スーパーも一部の陳列棚がスカスカです。雪の影響で品物が届かないのです。

その日の帰り道、バイパスの合流で結構強引に入ってくるトラックがいました。でも、いつもの苛立ちはなく「あなたは人より先に行かないと。そして商品を早くお店に届けてね」という気持ちで道を譲りました(もちろん荷台の中は見えないので本当の積み荷が何かはわかりません)。

調停センター「ふらっと」では、紛争を解決するための話し合いのお手伝いをします。でも紛争を未然に防ぐことができたらその方がずっといいはずです。日頃物事が思うようにいかないとき「何か事情があるのでは」と相手を思うことは、紛争の予防に役立つかもしれないと思いました。
井口

2014年6月9日月曜日

必要にせまられて


必要にせまられて料理をするようになりました。
料理をしたことなかったわけではありませんが、たまに作る程度だったので、
「毎日ご飯作るなんて、無理!」
と思っていました。

実際、朝ご飯には味噌汁、昼ご飯はあるものを弁当箱につめて、夜はなんとか一品、二品作る程度です。
とりあえず今のところこれでOKにしています。
帰る道すがら、冷蔵庫にある食材を思い浮かべながら本日の夕飯のメニューを考えたり、何にも思いつかなかったり...。
料理って大変ですね。
そう感じるたびに、世の中の主婦は毎日えらいなぁと感心します。

そんな私のお助けアイテムは、インターネットのレシピサイト。
作ったことのない料理でもレシピを簡単に検索できるので、料理が得意でない私でもある程度作ることができます。
でも、時間を掛けて料理しても意外と少ない量しかできなかったときは、
「あんなにがんばって作ったのに~おなかいっぱいにならないじゃないか!」
と、がっかりすることもしばしば。
まだまだ合格点には届かない感じです。

必要にせまられて始めた料理。
せっかく始めたので、得意とまではいかなくても、料理上手になれたらいいなと思っています。
井野口

2014年5月22日木曜日

やっぱり準備は大切!

 先日、とあるイベントがあり、80人くらいの前で最初と最後の挨拶をする機会がありました。
 挨拶の原稿を考えようと思っているうちに日々が過ぎ、今まで経験したことがない人数だからなのか、その日が近づくごとに緊張が高まり、挨拶の原稿を書こうと思っても手につかない状態でした。

 それでも最初の挨拶は事前に考えましたが、いざステージに上がり演台の前に立つと頭が真っ
白。みんなの自分を見る視線が突き刺さるように痛い・・・(ように思えました)。
 まずい。どうしよう・・・。
 結果は、考えた内容の半分も言えない状態でした。

 みんなからも「緊張しているのがすごく伝わったよ」と言われ、自分が話そうとした事よりも自分の緊張感だけが参加者に伝わったような状態でした。

 そんな状態だったので、最後の挨拶は、全く考えておらず、檀上で考えてしゃべるような状態だったので、何を言ったのかあまり覚えていないという始末・・・・。
 準備不足を痛感し、反省の多いイベントでした。

 よく聞く言葉、「何事も準備が8割」はやっぱり合ってるんだな~と改めて思い、あともう一度、挨拶をする機会があるので、その時はちゃんと早めに準備をして臨もうと思いました。

                                                   佐藤圭

2014年5月1日木曜日



先日、資生堂パーラー名古屋店に行って参りました。
資生堂パーラーと言えば、創業100年以上続く日本における西洋料理の草分け的存在で、国内で初めてアイスクリームやソーダ水を製造販売したことでも有名な、いわゆる高級レストランです。
私が注文した品は、写真の通り。手前サンドウィッチは金1,300円、奥のタルトは金1,000円の合計金2,300円也。(実際の支払いは2名分なのでもっと掛かりましたが・・・)
味は確かに美味しいが、何分お値段が・・・。ガ○トであれば金800円と言ったところか?(笑)
きっと、料理の味のみならず、店員の接客やお店の雰囲気、窓越しに眺める景色なども含めての料金設定なのだろう。単に空腹を満たしたいだけの人には、向いていない。

ところで、ふらっとの調停は、裁判所の調停とは異なり、お金が掛かる。ではなぜ、お金を徴収するのか?単純に考えれば、「調停人の日当に充てるため」ということになるのだろう。
しかし、申込人とすると、そうではなく、ふらっとの調停に何らかの価値を見いだし、その価値自体にお金を支払っているのだと思う。
私は1度だけ調停人(サブ)を務めたことがあるが、申込人が望んだ価値を提供できたか甚だ疑問である。ADRの勉強会は、随分ご無沙汰しているので、あまり偉そうなことは言えないが、今後の自分に対する戒めのために文章にして残しておこう。

池谷大介

2014年4月30日水曜日

時代を超えた交渉?


 
 
 昨年(2013年)12月に、こんな新聞記事(読売新聞)がありました。

 「もう日英交渉もめない?英大使館に土地8割譲渡」

司法書士新人研修で、横浜にしばらく滞在していたころ、最高裁判所を見に行ったことがあります。右手に皇居のお濠、ランナーたちが途絶えることなく皇居の周囲を走っている反対方向へ歩いていくと、千鳥ヶ淵あたりに、レンガ塀で囲まれた水色の洋館が左手に現れます。すごい豪邸だことなどと思っていると、英国大使館でした。こんな一等地にこんな広大な敷地にあるなんで、さすが大英帝国??

 

 さて、新聞によると、(明治維新直後1872年以来、日本政府はイギリスに東京都千代田区一番町の土地3万5000㎡の国有地を貸し付け、賃料は10年単位で両国政府間の協議で決定してきた。現在は、年約3,500万円と低めに設定されており、協議 が難航することも多かった。)とあります。要するに、日本が英国にこの土地を賃貸し、英国は賃貸料を払ってきたのですが、日本側にとっては、安すぎる賃貸料、英国にとっても協議が難航していることは問題となっていたのですね。

 財務省HPには、英国側からの申し入れでこの件について協議を始め、解決の方向が定まったとされています。敷地の2割を日本に戻し、残りを英国の所有とする方向で最終調整をしているとのこと。

 

長年の不調であった話し合いが、解決の方向へ動いた、その経緯はどのようなものであったのでしょうか?

ちなみに、国有地を賃借している大使館は、英国のほかアメリカとスペインだそうです。 


                                     2014.4   御 室