2017年4月27日木曜日

増田家に柴犬がやってきた その2

 ふらっとブログ読者のみなさん、こんにちは。
 2016年
8月24日、ブログ「増田家に柴犬がやってきた」を書きましたが、それから8か月が経ちました。


 我が家の柴犬『リク』は、今ではすっかり家族の一員となり、私たちに癒しを与えてくれています。

 リクを飼うまでは犬嫌いだった長男も、次第にリクに慣れて触ることができるようになり、当初は長男に寄りつかなかったリクも、リクのほうから長男にじゃれつくようになりました。

 次男も次女もリクのことが大好きですが、長女がリクを一番かわいがっており、ほぼ毎日後ろからリクに抱きついて、少しリクに嫌がられたりしています・・。

 我が家のリビングから、リクの部屋(土間)が丸見えになりますが、私と目が合うと、じっとこちらを見て、両前脚を綺麗にピタッとそろえてお座りしたり、伏せをして待ちます。

 
 どうしてリクは、あんなに綺麗に、高級旅館の女将さんが襖を開け、畳に両手をついて挨拶するように両足を揃えるのだろうと不思議に思い、私は仮説を立てました。

・犬は、主人の顔色をいつも伺っている。

・リクが小さい頃、私は、両脚をピタッと揃えている姿を見て喜び、嬉しそうな顔をした。

・リクは、両脚を揃えていれば主人が喜ぶと思い、以後、ずっとその姿勢を取ることにした。

 犬は、よく人の目を見て行動するそうなので、私の仮説もまんざらではないと思いますが、いかがでしょうか。

 しかし、リビングでくつろいでいる間中、ずっと綺麗な姿勢で待たれるのも落ち着きません。

 お父さんは、リクのだらしない格好も好きなんだよ、と目で念を送る毎日です。
 
                            増田

離婚案件のニーズ


『夫と離婚することで話がつきましたが、養育費の額や期間、離婚後に子どもと会わせる頻度について折り合いがつきません。間に入ってもらえないでしょうか・・』

私の事務所には、このような相談が時々寄せられます。

しかし、私は司法書士であって、弁護士ではないので、この相談のような家庭内の紛争(「家事事件」といいます)については、一方の代理人として離婚に関する交渉をすることができず、当事者の間に入って話し合いを進めることもできません。

上記のような相談があると、親族や共通の知人に間に入ってもらうか、家庭裁判所に対する調停の申立てを薦めるのですが、内容が内容だけに、親しい人には頼みたくない。かといって、交渉が決裂しているわけではないので、裁判所を通したくはない。また、何回も裁判所に行きたくない。ということで、話がなかなか前に進まないケースに遭遇します。

『自分たちで話し合って離婚時の取り決めをしたいんだけど、自分たちだけでは分からないこともあるから、第三者を交えて、第三者のアドバイスを受けながら調整したい』

この、離婚案件における「裁判所一歩手間のニーズ」は少なからず存在するわけで、私は、調停センター“ふらっと”で扱うことができればなあ、とよく思います。

現在、“ふらっと”で扱うことのできる案件は、お金の貸し借りや建物の明渡しなどのいわゆる民事事件のうち、争っている額が140万円以下のものに限定されています。これは、“ふらっと”が司法書士のみで運営されていることが理由です。

そこで私は、弁護士さんに関わって頂くことで、“ふらっと”が、上記のような家事事件や、額に関係なく民事事件を扱うことができるようになるよう、その実現に向けて、仲間と一緒に検討しています。

なぜなら、そこに市民のニーズがあると思うから
                        増田
 

2017年4月18日火曜日

起業家に寄り添う。

最近、何人かの起業家のお話を聞き始めています。

もちろん、コンサルをしているわけではありません。

その方が、どのような経緯で起業を思い立ち、何を目指しているのかをお聞きするだけです。

でも、これが意外と好評で、「自分が何を考え、何を大切しているかが整理できた」
と言っていただいています。

経営者は孤独です。ましてや、起業をされて間もない方々は、後戻りができない恐怖と将来への不安でいっぱいです。

私が心がけているのは、じっくりお話を聞く(聴く)ことで、その方の過去のできごと、心の奥底から「その方にしかできないこと、その方にしか語れない何か」を浮上させること。
調停で当事者の話を聴くことと共通することが多いと思います。

先日、私も新経済サミットに参加しましたが、Aiにできないこととして、「起業」がキーワードになっていました。

今後も、機会があれば起業家に寄り添っていきたいと思います。

名波直紀

2017年4月10日月曜日

ふらっとの実績は?

ふらっと と同じように、全国には法務省の認証を受けた調停センターが点在しています。

現在、その数は152。
こちら  ↓ ↓  に一覧がまとめられています。
http://www.moj.go.jp/KANBOU/ADR/jigyousya/ninsyou-index.html

それぞれの調停センターの名称をクリックすると、各調停センターから報告された実績も表示されています。

こうして眺めてみると、ふらっと はまずまず健闘しているようですね。
さらなるご活用をお願いします!  (中里)

2017年4月8日土曜日

新経済サミット2017



  4月6日、7日の2日間、赤坂にて開催された
     「新経済サミット2017」に参加してきました!


  AI,ドローン,免疫により癌を死滅させる医療,
 自動運転,lot・・・イノベーションを起こして世界を
 変えている 最先端の人々が世界中から集まり
 取り組みを話してくださいました。

  スピーカー全員に共通するのはよりよい
  世の中のために取り組んでいることに
  あると思います。
  つまり、金儲けとか、自分のためとかではなく、
  情熱を費やすに足る価値の基準が常に
  他者(人)のためになるかどうかにあるということ。

  携帯電話ができて人々のコミュニケーション
  は変わりました。
  スマホができて、またコミュニケーション
  は変わりました。
  大きな変革の時代にまた人々のコミュニケーション
  は変化していきます。
        
  その急激な変化はますますコミュニケーション
  がうまく取れない、理解し合えないなどの不具合を
  産むのではないかと思います。

  これからの時代、”ふらっと”の必要性が増す
  ことを再確認しました。

      副センター長 芝知美

         


        

2017年3月27日月曜日

お奉行さまの名裁き


 このブログが始まって8年になりますかね。よく続いています。代々引き継いできたブログ管理者の皆さん、お疲れ様です。

 私も年を重ね、いつ潮時かと考える今日この頃、ネタも少なくなり、書籍の引用になってしまいました。ゴメンナサイ。
 


 
今日は、お奉行さまご多忙でお調べがありません

~遺産分配で争っていた兄弟~

 

江戸時代。親を亡くした兄弟が、遺産分配の争いで奉行所に訴えた。

二人に呼び出しがかかったのは、厳冬の早朝だった。

一間に入れられているが、お互い物も言わなければ見向きもしない。火の気のない部屋の寒さは身を切るようだ。

ところがどうしたことか、夜になってもなんの沙汰もない。

 

兄「寒いのう。どうしたんだ」

弟「本当になあ。いつまで待たしやがるのか。馬鹿にするにもほどがある」

どちらからともなく話しかける。

兄「こんなはずではなかった。呼び出しがあるまで話そうや」

弟「うん」

 ………

兄「どうもオレが少し強引だった」

弟「そうでもないよ。弟の分際で欲深いことを言ったからなあ」と反省の弁がでる。

兄「いや、できるだけやるまいと、欲張ったオレが悪かったのだ」

弟「兄さんは親の面倒も看てくれたのだから、多く取るのは当然だ。少しでも貰えたら喜ばねばならんオレなのに、妻が差し出口をしたばっかりに、オレもその気になって、こんなケンカになっちゃって」

兄「いやオレの方も“やることはいらん”と、妻がいらぬ口をたたくもんだから……。親が生きていたら、どんなに悲しむだろうなあ」

弟「本当にいままで仲良く暮らしていたのに、どうしてこんなことになったのか。申し訳ない。オレは何もいらないよ」

兄「いや、親心を思えばおまえに半分やるのが当たり前だ。こんなことで争うのは、もうよそう」

弟「オレも賛成だ。そうしよう」

 

話がまとまったとき廊下に足音がして、使いの者がこう伝えた。

「今日はお奉行さまご多忙で、お調べがありません。後日呼び出しのあるまでお待ちください」

陰から、和解を奉行は待っていたのだ。

 

「光に向かって123のこころのタネ」(1万年堂出版)より
 

「時のチカラ」というか、「場のチカラ」というか、「対話のチカラ」というか。お奉行さまといえば大岡越前か遠山の金さんくらいしか思いつきませんが、江戸時代に現代にも通じるこのような裁き(調停)があったとは……。
 
いけがやみちお

 
 
 

2017年3月23日木曜日

伝達手段

数日前、実家にFAXを送ろうとしたところ、「あんなものは必要ないからやめた。PDFで送れ」と父に言われ驚きました。私が仕事を始めた頃はポケベル全盛期、書類もワープロで作成していて、今はパソコンもスマホも必要に迫られてようやく使っている状態なので、「FAXで送って」と言われればむしろ楽!と思って嬉しいくらいですが、FAXを多用していたはずの父からバッサリ切られるとは。

顧客とのやりとりでも「連絡はメールで」と言われてしまうと、とにかくそうするしかないのでメールでやりとりしますが、メールもいろいろと気を遣います。

そして仕事上避けて通れないのが知らない人への電話。一度でもお会いしていればさほど抵抗はないのですが、会ったこともない人へ、必要な書類を用意してください、とかややこしい話をするために自分から電話をするのはなかなか抵抗があります。電話ではなく、知らない人と待ち合わせをするなら抵抗はないのですが。

時代とともに意思や情報の伝達手段はどんどん変わってゆくし、好むと好まざるとにかかわらず対応してゆく必要もあると思いますが、一方で人と直接会う時間も大切にしたいと思います。

井口

2017年3月17日金曜日

いつかきっとどこかで・・・

先日、小学校の時に通っていたスポーツ少年団(剣道)の監督が亡くなりました。少し怖かったけれど、剣道の先生としても、人間としても本当に尊敬出来る人でした。葬儀に参列し、ある方が、弔辞の中で、剣道の練習前に必ずみんなで唱和していた「決まり事」を紹介されたのを聞いた時、思わずハッとしてしまいました。

みんなで唱和する「決まり事」は、「生活の誓い(生活をする上で守るべきこと)」と「練習の心掛け(練習をする上で守るべきこと)」の2つで構成されていて、みんなに挨拶をしましょう、人に感謝することを忘れないようにしましょう、練習では常に工夫と研究をしましょう・・・など。今、改めて聞くと当たり前だと思える内容ばかりです。でも「生活」を「日常」に置き換え、「練習」を「仕事」に置き換えて振り返ると、今の自分は全然しっかり出来ていないんだと思い、反省しました。
おそらく、その当時は、「言わないといけないから」くらいの気持ちで深く考えることもなく言っていたと思います。何だか最後の最後に、監督から「お前もっとしっかりやれよ」と叱られたような気がしました。

ただ、暗記するくらい言っていたおかげで、すぐに「決まり事」の全てを思い出すことができ、自分に落とすことが出来たのは救いであり、改めて小学校2年生から6年生までの5年間、練習の前に常に言い続けてきたことは少しは役に立ったのかなと思いました。

仕事のこと、仕事以外のこと、今やっていることはすぐには役に立たないかも知れない、今やっていることの意味が今は分からないかも知れないけれど、もしかしたら5年後、10年後に役に立ったり、改めて学びや気付きがあるかも知れません。今やっていることの意味が分からないからとか、意味がないと思うから「やらない」のではなく、これから先で何か意味があるものになるかも知れないから、今一生懸命やるのもいいんじゃない?と思いました。

いつかきっとどこかで「あ~、あの時やってたことが役に立ったよね」。そう言える日が来ることを信じて。

佐藤圭

2017年3月9日木曜日

もういや~ええねん~前へ一歩  ね!!

 
訪問先への車の中で、ラジオから流れてきたこの曲♪
 ♪ ♪ 情けなくてもええねん  叫んでみればええねん
苦い涙もええねん ポロリこぼれてええねん
それでええねん それでええねん ♪ 
それだけて  ええねん・・・
            (歌詞を抜粋しています)
2003年にリリースされたこの曲、懐かしい・・でも、今の私にググッと来るぜ!
    というのも、
多くの出来事が押し寄せてきて、まとまりがつかなくなり、途方に暮れ、呆然とし、後悔するような言葉を人に投げつけ、反省し、落ち込み、キャパの小さい自分が情けなく思え、・・もう、いやや・・自己否定のメタメタな状態であり。

   そんな私をみていた友人がすすめてくれた本があります。
「あたらしい自分を生きるために」森田汐生 著
アサーティブネスという考え方は、コミュニケーションの方法であり、相手も大切にしつつ、自分も大切にして生きていくための一つの生き方であると紹介している読みやすく書かれた本です。


誰に対しても、自分の気持ちを素直に言葉にし伝えていく。精一杯のその先に それだけでええねんの世界が広がり、前へ進めるのね。

庭の杏の花が咲き誇っています。さあ、一歩!! 
                                御 室





2017年3月2日木曜日

かんちがい

平日は仕事を終えて帰宅すると
風呂、飯、寝る!のコンボなので
夜はこどもとゆっくり会話する機会がありません

そんな私と娘とのおしゃべりタイムは
保育園への片道30分のドライブで補われているのです

保育園で○○の絵を描いた
○○へお散歩に行った
こんな歌を教わった
おやつの○○を全部食べたetc・・・

ところがそういった報告だけでなく
おしゃべりタイムはおねだりタイムでもありまして
あそこに行きたい
あれが欲しいといったおねだりが始まるのですが
時々とんでもないことを言い始めるのです

おとおさ~ん
こんどねえ
おすしやさんで
カキフライと
おだんごと
ラーメンたべたいなあ

娘よ
は●寿司にしか連れて行かない父ちゃんにも責任があるが
寿司屋はそういうところではないぞ・・・

                   運営委員 竹下康智


2017年2月18日土曜日

決着をつけること

私たち司法書士の仕事は、相談を聴くことから始まります。
法律的に請求できても回収の見込みが低い場合、そもそも法律的に
請求することが難しい場合、相談者の納得を得ることはとても大変です。
当事者が自分の気持ちに決着をつけらるように私たちはできる限り寄り添
います。ただ近づきすぎるとこちらも疲弊します。何事もバランスが大切
です。
来月発刊される司法書士会の会報誌HO2に、コミュニケーションに関す
る座談会が収録されています。何かのヒントになれば嬉しいです。
                        
                         事務長 佐藤麻妃

2017年2月16日木曜日

「法テラスカード」を作りました。


法律扶助ってご存知ですか?

法律扶助とは、収入が少なく生活に余裕がない方でも、司法書士、弁護士に依頼して法的サービスを受けられるよう司法書士、弁護士への依頼費用(実費も一部も含みます。)を立て替えてくれる制度です。しかも依頼費用の立替金は、長期の分割で返済できます。

法律扶助は、法テラス(日本司法支援センター)が運営している制度で、様々な法的問題を解決するために利用できます。たとえば、自己破産申立、債務整理のほか、離婚調停、養育費の請求、遺産分割調停、相続放棄、交通事故等による損害賠償請求、貸金返還請求など法的トラブルを解決するために司法書士、弁護士に依頼する費用であれば、法律扶助の対象となります(紛争金額が140万円を超える事件、家庭裁判所で扱う事件等については、司法書士は裁判所に提出する書面作成での受託となります。また、相続等の登記の依頼費用は法律扶助の対象になりません。)。

ただし、利用するためには、収入・資産が一定額以下であること等の要件がありますので、詳細については、司法書士にご相談いただくときにお尋ねいただくか、または、日本司法支援センターのホームページ等で確認してください。

大変有益な制度なので、多く方に自らが抱える法的問題を司法書士に依頼する際に是非とも利用していただきたいのですが、生活困窮者等の本当にこの制度を必要とする方に十分に情報が行き届いていないのではないかと思い、静岡県司法書士会では、この度、法テラスの利用を促す「法テラスカード」というものを作成しました。

「法テラスカード」は、司法書士に相談・依頼をする際に提示していただければ、司法書士が収入要件等を確認して、法テラス(法律扶助)の利用が可能か検討します。市役所の福祉課や社会福祉協議会の窓口等で配布していただけるようこれから関係機関にお願いする予定ですので、是非、受け取ってご自身の法的トラブルの解決に利用してください。

私は法テラスカードを持っていないという方でも、司法書士に依頼する際に「法テラスの利用を検討してください」と言ってくだされば、司法書士において検討しますので安心してご相談してください。

ちなみに、ふらっとの申込費用等については、法律扶助の対象ではありませんが、ふらっとでは、収入が一定額以下の場合には、ふらっとの申込費用等の負担を免除する規定がありますので、詳しくは静岡県司法書士会事務局までお問い合わせください。



運営委員 井上史人

2017年2月3日金曜日

震災時の調停センターの活用について

 センター長の小澤です。

 日本司法書士会連合会のADRに関するプロジェクト・チームでは、震災時のADRセンターの活用について、継続的に議論しています。
 東日本大震災時において、仙台弁護士会のADRセンターに多くの事案が寄せられ、多くが紛争の価格が140万円以下であったというデータもありますので、全国の司法書士会調停センターがお役に立てる可能性が大きいからです。
 先般の熊本地震においては、熊本県司法書士会の調停センターが、福岡県司法書士会をはじめとする近隣の司法書士会調停センターの協力を得て、事案を解決するスキームを構築しています。

 震災時における調停センター活用についての最大のポイントは、震災を受けた司法書士会の調停センターを、他の司法書士会の調停センターが円滑に支援できるスキームが必要なことだと思います。
 たとえば、東海大震災が起こり、静岡県が広域にわたって大きな被害を受ければ、静岡県民の相談に、ふらっとだけでは対応しきれないことは明らかです。
 このようなことは、全国各地の司法書士会の調停センターに共通して言えることでありますので、今から、備えておく必要性が高いと考えられます。
 近隣の司法書士会の調停センターとの意見交換も必要でしょうし、より具体的には、規程類の見直しの作業も必要になってきます。
 ふらっとにおいても、改めて議題として検討したいですね。

2017年2月1日水曜日

死にたいと言い続けることは良いことではないが役には立つ?

私の母はもうすぐ88歳になりますが、常に、「死にたい、死にたい」と言っています。
もう少し若い(といっても80歳前後)頃はもっと具体的に自殺とわからない方法で自殺するのだと(私だけに)言っており、それが私の悩みの種でした。

母は私にどうして欲しいのだろう、どうしたらいいだろうと考え、親しい親類が集まって飲み会をしているときに、自殺なんてしないでほしいと言って泣くという相当恥ずかしいことをしてみてからは有難いことに「自殺する」とは言わなくなったかわりに、あんたのために生きていてやっているのだと、くどくど言われますが、自殺すると言われるよりはましだと思い、「有難う感謝してるよ」と(そんなに優しくではありませんが)言っています。

死にたいなどと言い続けなくてもいつか必ず死ねるのですが母の場合それを言い続けたことで二ついいことがあったと思います。

ひとつははいい年をした(当時50歳ちょっとの)娘が親戚の前で「お母さん死なないで」と言って泣くなどと言う思い切り恥ずかしいことをしてくれたこと(我ながらなんていい娘なのだろうと思ってしまうのは、絶対そんなことはないとは思いたいけれど、少し母に似ているのかも知れません)
もうひとつは、その母が自分で話してくれたことですが、(いつも体のどこそこが死にそうに痛いと言っているにもかかわらず)いつもと違う体の変調を感じてひどく不安になりどうしようとうろたえかけたとき、そうだ自分は死にたいんだったと思い出して安心したということです。

言葉には力があると思います。
知り合いの医者が「寝付いてから10年は死なないぞ(死ねないぞ)」と恐ろしいことを言っていましたが、認知症になったり、寝付いたりする前に、「死にたい」ではなく、それを自分自身に向って言い続けることで生きる力になるような言葉を何とか見つけたいものだと思います。

                                                    田ノ上美津子

2017年1月27日金曜日

大切な何か

みなさん、寒い日が続いていますが如何お過ごしでしょうか。毎朝布団から出るのに時間が掛る私です。僅かな温かさを残す湯たんぽにしがみつきながら気合いを入れて抜け出す・・・。そんな日々です。もっと清々しく起きられたらいいのになぁ。何か良い方法があったら是非お教えください。


さてさて、みなさんは何か大切にしていることはありますか。モノでも、コトでも、信念でも、夢でも何でも、皆さんにもきっと譲れない大切な何かがあると思います。私の大切な何かの一つに、思考を巡らす時間があります。
みなさん、「生きているということは」という永六輔さんの作詞された詩をご存知ですか。
最近、この詩に込められた意味を考える時間を大切に過ごしています。そして想うこと。私は学生の頃、自分自身がこの世を去る時に後悔の残らない生き方をしたいって思っていました。でも年を重ねながら、大切な人を突然失うことを経験し、考えが変わってきました。いつ取り巻く誰かを失ってもその人との関係に後悔が残らないよう、明日ではなくて今この瞬間、しっかりその誰かと向き合っていきたい、そう思うようになりました。でもこの詩を何度も反芻していると、直接誰かと向き合うだけでなく、誰かから受けたものをまた誰かに繋ぐことで、誰かとしっかり向き合っていることになるのだなって気付かされました。そして日々の生活を省みる。
この自分なりの解釈をみつけて自己満足する時間が私の大切な何かの一つです。やっぱり私って変わっているかな・・・。皆さんの大切な何かはなんでしょう。






見城美妃

2017年1月19日木曜日

表情の剽窃


まっすぐな道を歩いていると、向こうからも人が歩いてくる。

たいてい、あぁ、ちょっといやだなぁ、と思いますね。

そりゃあ、顔見知りならまた別です。(と言って、必ずしも心安くなる場合ばかりではありませんがね。)

ただ、往来を歩いていて、向こうから人が歩いてくるとき、たいていは知らない人です。おじさんかもしれないし、若い女性かもしれない。こどもかもしれないね。

ちょっと断っておきますが、都会のビルの下なんかを想像しないでくださいね。あっちからもこっちからも人が歩いてきて、すれ違う数なんて数えてたらきりがない、こういうところの話ではないんです。

ほら、思い出してください。田舎の田んぼのあぜとか、川の堤防とか、工場の塀に面した通りとか、まっすぐに伸びた道の先、はるか数十メートル先から、じわじわと近づいてくる知らない人。辺りにはほかに生物の気配はない。

あれ、目線はどうすればいいんですかね?じっと見つめるのも変だけど、前方に向かって歩いていると、どうしたって視界には入るわけで。気付いてないフリをすればいいのかな?気付いているけどまったく気にしていないフリをすればいいのかな?でもすでに気にしてしまっているのでな。

このとき、相手を捕捉してから時間にすると1~2分ですかね?いろんなことを考えますね。あぁ、ちょっといやだなぁ、なにか良くない人じゃないといいなぁ、いや、向こうもそう思っているかな?暗い顔でメガネかけて俯いて歩いている30前後の男だからなぁ、若い女性は多少なりとも警戒しているだろうなぁ。いや、それでいいんですよ!?ちゃんと警戒するべきである!!もちろん僕はそんな狼藉はしないから、良かったですね、すれ違うのが僕で・・

なんて思いながら、用もないのに携帯なんか取り出してチェックしたりする。川面に浮かぶカモに急に見とれ始めたりする。

そうこうするうちに、いよいよ合流地点がくるわけです。このとき、やはりお顔を確認します。万が一知っている人かもしれないし。そういえば、あまり目が合うことはない気がするので、相手はあまり気にしていないのか、逆に意識的に目を逸らしているのか。


そしてそして、ここからがいよいよ本題なんですが、こうしてチラっと見た相手の表情を、なぜか私、瞬時に真似てしまうんです。眉間にしわを寄せているとこちらも寄せ、急いでいる顔をみるとこちらも急ぎ顔になり。

これは瞬時に。そんなことするつもりもないのに。そして一瞬後、なにやってんだ、と思いながら表情を戻すのです。

心理学的にいうと。わかりません、たぶんなんらかの説明があるでしょう、でも調べません。

実はこれ、だれかと話し合いをしているときにも同様の作用が生じているのではないかと考えています。ただ、統計的な分析はまだしておりませんので、そのうち。


以上です。


(青野雅之)


2017年1月12日木曜日

除夜の鐘


あけましておめでとうございます。

皆さんは、年末年始をいかが過ごされたでしょうか。年末年始の連続休暇も終わり、そろそろ仕事にも調子が出てきた頃ではないでしょうか。

さて、私が年末年始で気になったのが「除夜の鐘」の問題です。皆さんもテレビやネットで話題になったのでご存知だと思いますが、近隣の騒音等の迷惑を考慮して除夜の鐘を撞つかない、あるいは日中に鐘を撞くなどをする寺が出始めているとのことです。

たしかに夜中に鐘を鳴らされれば、その近くに住む人にとってはうるさく感じるかもしれません。私の住む近くの寺の鐘は、戦時中に金属資源の不足を補うため国に供出され、その後も設置されることなく今日を迎えているため、生音で除夜の鐘を聞く機会はありません。

私の近年の大晦日は、家族との夕食時に晩酌をして、しばらくの団欒の後に風呂に入って床に入り、新年のランニングに備えるという生活をしています。家族は夜遅くまで起きていますが、私は紅白歌合戦やその他のテレビ番組にも興味を持てないので早々に床に入ってしまいます。

しかし、私の住む焼津市では、0時を過ぎた年明けと同時に相当数の花火が上るのです。「バン・バン・バン・バン・ババババーン」がしばらく続きます。深く眠りに入っていれば問題はないのですが、たいていの場合には花火で目が覚めてしまうことになるのです。花火を上げるのなら朝でも良さそうなものですが夜中に上げるのです。

まあ、それも年に1回のことであるし、おめでたいことでもあるので、苦情を言うこともなく笑って毎年過ごしているのです。外国では、年明けとともに花火やら爆竹を鳴らして大騒ぎをするところもありますので、文化の違いといえばそれまでです。

除夜の鐘を不快に思う人達には、それぞれ事情があることも理解します。音の問題・参拝者の交通事情や駐車場とマナーの問題など様々な問題が関係しているのかもしれません。

しかし、除夜の鐘は昨日今日始まったことではなく、ずっと永く続いてきた行事であり年に1回のことです。社会の中で共に暮らしていくためには、それぞれが少しずつ我慢して許しあうことも必要になります。ほかの人の多様な面を許す寛容なこころを持てない世の中になったのかと寂しい気持ちになった年末年始でした。
宮内豊文

2017年1月4日水曜日

土曜日の大晦日


 朝起きて、テレビをつける。

見慣れたニュースは放送されていない。

「あぁ、今日は大みそかだった。」

 顔を洗い、郵便受けから新聞を取り出す。新聞が妙に薄い。一面トップの見出しも直虎が実は男だったという学説に関するもの。やはり今日は大晦日に違いない。

しかし、食卓に並ぶ朝ごはんはいつものとおり。ごはんとみそ汁、漬物、つくだ煮の面々。老母との会話も口数少なく、それもいつものとおり。

身支度を整え、アパートを後にする。いつもの道を通り、事務所へ向かう。途中、刈田や農家の屋根に数えきれない鷺が立ち並ぶ。彼女らは身じろぐことなくこちらを覗っている。

事務所に着き、PCではなくテレビをつける。先送りにしていた真っ新な賀状に墨をつけていく。ベトナム語科のふなちゅうという名の同期に宛てて賀状を書く。彼とは、野球の練習の後、フランス語科のせきみほがいる店によく飯を食いに行った。店の名はフェアリー。せきみほのフラメンコにいくらつぎ込んだかわからない。一々そんなことを思い出しているせいか、賀状書きが進まない。普段忘れていることをつい思い出す。やはり今日は特別な日だ。

賀状書きに身が入らず、こたつに入って菓子パンをかじりながら、ぼんやりテレビを見る。前田吟が直虎の宣伝をしている。土曜スタジオパークだ。

「今日は土曜日か。」

そういえば、最近は平凡な日常を描いた小説や映画が愛おしい、前田吟を見てふと思う。

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「そういえば、古紙の駅に連れていく約束だった。」

思い立って老母に電話をかける。

「エビ食べたい。」

屈託ない老母の返事。エビとはずいぶん贅沢な話だ。しかし、生きている間でなければ親孝行もできない。いや、今日は大晦日だ。とにかくそれぐらいは許そう。
 たいていの仕事は明日に回し、アパートへ戻ることにする。日はまだ高い。今日は土曜日の大晦日。日常と非日常が入り乱れた日。


(小楠 展央)