2015年9月23日水曜日

非言語コミュニケ―ションと信頼関係

去る9月11日から9月13日までの三日間、地元の祭りに参加しました。

私の地元の浜松市浜北区宮口のこの祭典は、全部で屋台が9台も終結する、この地域でも規模が大きいもので、三日間屋台を引き回すので正直体はボロボロです。

4年前、私と私の旧知の友人と二人で若連の組長と副組長を担いました。事前の準備は当然ですが、一番の大仕事は当日の屋台の運行支持です。拍子木を打って屋台の出発や停止の指示、拍子木を傾け屋台の舵を切る、拡声器を使っての支持等です。

正直、かなり面白かったです(笑)

自分の支持一つで数十人のメンバーが一斉に行動を開始するなど普通ありえませんから。

ただ、ホントに細かい部分や屋台の舵を切る微妙なタイミング、突発的な事柄に対する対応などは、殆どがジェスチャーやアイコンタクトです。(お囃子や太鼓の音で支持が届かないこともあるので)

特に舵を切るタイミングなんてチョット誤れば屋台は田んぼの中に落ちてしまって大事故です。

このジェスチャーやアイコンタクトが成立する条件って、普段からの相互の信頼関係なんだと思います。相手を信頼する、相手から信頼されるって、すごく難しいですが、人間関係で一番大事なことだと感じました。

三日間の祭りを終えた後、若連のメンバーから(労を労う意味で)胴上げされたのですが、感動もんでした。
 
 
(池谷大介)

2015年9月17日木曜日

何故話し合うの?





    
                                                            
9月6日、「法と教育学会~子供の法意識・法知識と法教育」が早稲田大学で開催されました。
私は、小学校~高校における様々な法教育の研究・実践を発表する分科会に参加しました。実際におこった事案を題材に、異世代の意見の相違を確しどう考えていくかで話し合った事例等が発表されました。

 一例をあげます。
所沢市での住民投票となった、学校にエアコンはいるのか?の事案

   大人の意見:   子供は(暑さ)我慢するものだ。
              私たちはそうしてきた。
               税金の無駄遣い。
               子どもは外で遊ぶものだ。

   子どもの意見:  入間基地の騒音がうるさくて、勉強に集中できない。
                    学校は勉強するところだ(快適な環境)。
                    子どもには、我慢させて、大人はどうなんだ?

話合い後の感想:答えを出すことが大事なのではない。
       話し合うためのルールに気づくことで、円滑に話合
       いができる。
       自分たちがどのような立場に置かれているかを理解
       できの立場についても理解できる。
      

        
 答えを出すための話合いから、何故私たち話し合っているの?と視点が変化し、互いを理解しようすることが、問題解決の入口なのだなと感じました。それぞれの立場で、一つの問題も違う見え方となりますが、相手の考えや思いを知ることで、景色が変わってくるのでしょうね。
まさしく、ふらっとの趣旨ですね。

「私たち、何故話し合うの?」と問い直してみたら日々の景色も変わるかな?

「法と教育学会」は、小・中・高等学校における法教育、大学法学部における法学教育、法科大学院・司法研修所における法曹教育、そして法律専門家に対する研修・教育のあり方について総合的に研究し、 それを教育の現場で実践するため、法学、教育学またはこれらの関連分野における研究 もしくは実務に携わる方の研究上の連絡・協力を促進することを目的とした学会です。 (法と教区学会のHPより)
                                      2015.9.17 御室

2015年9月12日土曜日

手段か中身か

20年ほど昔のことですが、とある新聞社の就職説明会に参加したときのこと。

その頃はまだ、現在ほどインターネットが普及しておらず、

それどころか携帯電話もPHSが主流で、2人に1人もってるかどうかという時代でした。


んで、その場で新聞社のお偉いさんはこう仰るわけですね

「最近、インターネットだの電子メールだの、携帯電話などというものが流行っているが

あんなものは血が通っていない、温かみがない、人間的ではない」、と。


それは、新しいメディアに対する本能的な嫌悪感や警戒感であったのでしょうか。

現在、インターネット掲示板やツイッター、facebookはテレビや新聞の影響力を

脅かすような勢いで成長しています。


しかしその一方で、私自身も似たようなことは感じていました。

「メールで気持ちが伝わるんだろうか」


そんな ことを考えていたことを思い出す記事を、最近インターネットで見つけました。

インディアナ大学の研究者たちが、好きな人への告白において

SNS、電子メール、ボイスメール(留守電)のどれが効果的なのかと。


私は、その中だったら、留守電がいいだろうなと思ったのですが

結果は「電子メールが一番効果的だった」というものでした。

メールは送信する前に念入りに推敲されるのが

想いを伝えるのに効果的だったのではないか、

と分析されていました。


被験者が18歳前後という若者中心だったということも

このような結果となった要因なのでしょう。

幼いころからメールを使う機会があったでしょうから。



コミュニケーションは時代と共に手段が変わっていく。


でも、肝心なのは伝えようとする中身であることは変わらない。

年寄りみたいな感想ですが、オッサンなので仕方ないですね。


調停員 竹下

2015年9月8日火曜日

 最近、囲碁の勉強をしています。

 時々、インターネットで囲碁ソフトを相手に打つことがありますが、私の棋力では簡単に囲碁ソフトに負かされてしまいます。
 将棋ではプロ棋士とコンピューターが互角に戦えるようですが、囲碁の世界ではまだまだプロ棋士が強く、コンピューターはハンデをもらっているようです。

 囲碁のソフトが将棋のソフトと違いまだまだプロに勝てない理由の一つに、指し方や状況を判断するための評価関数が作りづらいことがあげられるようです。
 将棋ではそれぞれの駒の価値が違うためその評価をしやすいことと、相手の王を取るという目標が明確なので、評価関数が作りやすいとのこと。
 囲碁では、石の価値はどの石も同じですが、石を置く場所やタイミングでその石の価値が変わり評価をしづらいとのこと。

 囲碁で使用するのは黒と白のただの石。どの石も価値は同じ。でも、石を置く場所やタイミングでその石が輝きを放ったり、価値が無かったり。
 
言葉も同じで、全く同じ言葉でも、その言葉が発せられた状況やタイミングで輝きを放ったりするのではないかと思いました。
 
 
渡 辺 卓 也