2017年3月27日月曜日

お奉行さまの名裁き


 このブログが始まって8年になりますかね。よく続いています。代々引き継いできたブログ管理者の皆さん、お疲れ様です。

 私も年を重ね、いつ潮時かと考える今日この頃、ネタも少なくなり、書籍の引用になってしまいました。ゴメンナサイ。
 


 
今日は、お奉行さまご多忙でお調べがありません

~遺産分配で争っていた兄弟~

 

江戸時代。親を亡くした兄弟が、遺産分配の争いで奉行所に訴えた。

二人に呼び出しがかかったのは、厳冬の早朝だった。

一間に入れられているが、お互い物も言わなければ見向きもしない。火の気のない部屋の寒さは身を切るようだ。

ところがどうしたことか、夜になってもなんの沙汰もない。

 

兄「寒いのう。どうしたんだ」

弟「本当になあ。いつまで待たしやがるのか。馬鹿にするにもほどがある」

どちらからともなく話しかける。

兄「こんなはずではなかった。呼び出しがあるまで話そうや」

弟「うん」

 ………

兄「どうもオレが少し強引だった」

弟「そうでもないよ。弟の分際で欲深いことを言ったからなあ」と反省の弁がでる。

兄「いや、できるだけやるまいと、欲張ったオレが悪かったのだ」

弟「兄さんは親の面倒も看てくれたのだから、多く取るのは当然だ。少しでも貰えたら喜ばねばならんオレなのに、妻が差し出口をしたばっかりに、オレもその気になって、こんなケンカになっちゃって」

兄「いやオレの方も“やることはいらん”と、妻がいらぬ口をたたくもんだから……。親が生きていたら、どんなに悲しむだろうなあ」

弟「本当にいままで仲良く暮らしていたのに、どうしてこんなことになったのか。申し訳ない。オレは何もいらないよ」

兄「いや、親心を思えばおまえに半分やるのが当たり前だ。こんなことで争うのは、もうよそう」

弟「オレも賛成だ。そうしよう」

 

話がまとまったとき廊下に足音がして、使いの者がこう伝えた。

「今日はお奉行さまご多忙で、お調べがありません。後日呼び出しのあるまでお待ちください」

陰から、和解を奉行は待っていたのだ。

 

「光に向かって123のこころのタネ」(1万年堂出版)より
 

「時のチカラ」というか、「場のチカラ」というか、「対話のチカラ」というか。お奉行さまといえば大岡越前か遠山の金さんくらいしか思いつきませんが、江戸時代に現代にも通じるこのような裁き(調停)があったとは……。
 
いけがやみちお

 
 
 

2017年3月23日木曜日

伝達手段

数日前、実家にFAXを送ろうとしたところ、「あんなものは必要ないからやめた。PDFで送れ」と父に言われ驚きました。私が仕事を始めた頃はポケベル全盛期、書類もワープロで作成していて、今はパソコンもスマホも必要に迫られてようやく使っている状態なので、「FAXで送って」と言われればむしろ楽!と思って嬉しいくらいですが、FAXを多用していたはずの父からバッサリ切られるとは。

顧客とのやりとりでも「連絡はメールで」と言われてしまうと、とにかくそうするしかないのでメールでやりとりしますが、メールもいろいろと気を遣います。

そして仕事上避けて通れないのが知らない人への電話。一度でもお会いしていればさほど抵抗はないのですが、会ったこともない人へ、必要な書類を用意してください、とかややこしい話をするために自分から電話をするのはなかなか抵抗があります。電話ではなく、知らない人と待ち合わせをするなら抵抗はないのですが。

時代とともに意思や情報の伝達手段はどんどん変わってゆくし、好むと好まざるとにかかわらず対応してゆく必要もあると思いますが、一方で人と直接会う時間も大切にしたいと思います。

井口

2017年3月17日金曜日

いつかきっとどこかで・・・

先日、小学校の時に通っていたスポーツ少年団(剣道)の監督が亡くなりました。少し怖かったけれど、剣道の先生としても、人間としても本当に尊敬出来る人でした。葬儀に参列し、ある方が、弔辞の中で、剣道の練習前に必ずみんなで唱和していた「決まり事」を紹介されたのを聞いた時、思わずハッとしてしまいました。

みんなで唱和する「決まり事」は、「生活の誓い(生活をする上で守るべきこと)」と「練習の心掛け(練習をする上で守るべきこと)」の2つで構成されていて、みんなに挨拶をしましょう、人に感謝することを忘れないようにしましょう、練習では常に工夫と研究をしましょう・・・など。今、改めて聞くと当たり前だと思える内容ばかりです。でも「生活」を「日常」に置き換え、「練習」を「仕事」に置き換えて振り返ると、今の自分は全然しっかり出来ていないんだと思い、反省しました。
おそらく、その当時は、「言わないといけないから」くらいの気持ちで深く考えることもなく言っていたと思います。何だか最後の最後に、監督から「お前もっとしっかりやれよ」と叱られたような気がしました。

ただ、暗記するくらい言っていたおかげで、すぐに「決まり事」の全てを思い出すことができ、自分に落とすことが出来たのは救いであり、改めて小学校2年生から6年生までの5年間、練習の前に常に言い続けてきたことは少しは役に立ったのかなと思いました。

仕事のこと、仕事以外のこと、今やっていることはすぐには役に立たないかも知れない、今やっていることの意味が今は分からないかも知れないけれど、もしかしたら5年後、10年後に役に立ったり、改めて学びや気付きがあるかも知れません。今やっていることの意味が分からないからとか、意味がないと思うから「やらない」のではなく、これから先で何か意味があるものになるかも知れないから、今一生懸命やるのもいいんじゃない?と思いました。

いつかきっとどこかで「あ~、あの時やってたことが役に立ったよね」。そう言える日が来ることを信じて。

佐藤圭

2017年3月9日木曜日

もういや~ええねん~前へ一歩  ね!!

 
訪問先への車の中で、ラジオから流れてきたこの曲♪
 ♪ ♪ 情けなくてもええねん  叫んでみればええねん
苦い涙もええねん ポロリこぼれてええねん
それでええねん それでええねん ♪ 
それだけて  ええねん・・・
            (歌詞を抜粋しています)
2003年にリリースされたこの曲、懐かしい・・でも、今の私にググッと来るぜ!
    というのも、
多くの出来事が押し寄せてきて、まとまりがつかなくなり、途方に暮れ、呆然とし、後悔するような言葉を人に投げつけ、反省し、落ち込み、キャパの小さい自分が情けなく思え、・・もう、いやや・・自己否定のメタメタな状態であり。

   そんな私をみていた友人がすすめてくれた本があります。
「あたらしい自分を生きるために」森田汐生 著
アサーティブネスという考え方は、コミュニケーションの方法であり、相手も大切にしつつ、自分も大切にして生きていくための一つの生き方であると紹介している読みやすく書かれた本です。


誰に対しても、自分の気持ちを素直に言葉にし伝えていく。精一杯のその先に それだけでええねんの世界が広がり、前へ進めるのね。

庭の杏の花が咲き誇っています。さあ、一歩!! 
                                御 室





2017年3月2日木曜日

かんちがい

平日は仕事を終えて帰宅すると
風呂、飯、寝る!のコンボなので
夜はこどもとゆっくり会話する機会がありません

そんな私と娘とのおしゃべりタイムは
保育園への片道30分のドライブで補われているのです

保育園で○○の絵を描いた
○○へお散歩に行った
こんな歌を教わった
おやつの○○を全部食べたetc・・・

ところがそういった報告だけでなく
おしゃべりタイムはおねだりタイムでもありまして
あそこに行きたい
あれが欲しいといったおねだりが始まるのですが
時々とんでもないことを言い始めるのです

おとおさ~ん
こんどねえ
おすしやさんで
カキフライと
おだんごと
ラーメンたべたいなあ

娘よ
は●寿司にしか連れて行かない父ちゃんにも責任があるが
寿司屋はそういうところではないぞ・・・

                   運営委員 竹下康智