2015年7月30日木曜日

人工知能とコミュニケーション

少し前の新聞に人工知能について書かれているもの(といっても人工知能そのものがテーマではなく、研究、開発を無制限に進めていくことの倫理的な問題についてだったと思う)があり、そのなかに、「人間はできることは何でもやってしまう。脳がそれを要求する」つまり、倫理的な理由からしないほうがよい研究開発であっても可能性のあるものはやらずにいられないのが人間であるというような趣旨の文章があって、少し衝撃を受けた覚えがあります。
なぜこんなことを思い出したかというと、このブログを更新するためのパソコンの操作がどうしてもうまくいかず、①パソコンとコミュニケーションがとれればいいのに→②でもパソコンには意思があるわけじゃないし→③そのうち意思のあるコンピューターができたりするのかな・・・ということが頭に浮かんだからです。
コミュニケーションをうまくとるにはベースとなる知識(言語も含めて)が共有されていることが大事だと思いますが、その知識が足りないことが(日本語は問題ないと思っていたけど最近それも自信がなくなってきました)私が人とうまくコミュニケーションが取れない原因のひとつかなという気がします。
人工知能とコミュニケーションがまったく結びついていない変な文章になってしまったのは暑さのせいということにしておいてください。

田ノ上美津子

2015年7月23日木曜日

伝言ゲーム

急に暑くなったり、台風の影響を受けたり、天候が不安定で体調管理が難しい今日この頃。情けないことに風邪をひいてしまいました・・・。皆さんは大丈夫ですか?気をつけて下さいまし。
そんな私、先日、久々に親族が集まり賑やかな時間を過ごしました。そこで!懐かしの「伝言ゲーム」をやることに。子供心を取り戻しながら、思いっきり楽しみました。あのゲームをやるたびに思うのですが、本当に不思議。だって、ただ受取ったままに次に伝えるだけなのに、そんな単純なことなのに、なんで最後尾になるとまるで違う話になっちゃっているんでしょうね。たかがゲーム、されどゲーム。いい大人が本気になっても完璧な伝言は一度もないまま終わりました。
ただ伝言するだけですが、人を媒介することでこんなに情報が変化していってしまう。これが想いだったらどうなるのかなって想像したら、ちょっぴり怖くなりました。「自分の想いは自分の言葉で直接相手に届ける」これって大切だなって改めて感じた伝言ゲームでした。

2015年7月9日木曜日

キリギリスの話に入れない話

子供の頃から、イ段の発声がうまくできない。

特に苦手なのが「ち」、「き」、「し」、「り」。どうがんばっても、妙にくぐもった不明瞭な音になる。自分でも下手なのがわかるし、子供の頃はみんな遠慮がないから、面と向かって「何て言ってるかわからーん」とからかわれたりして、たまに泣いていた。

これは明らかにコンプレックスとなり、いまでもイ段が連続することば、例えば「おしり」とか「ぎりぎり」とか「キリギリス」とかは極力発言しないようにしている。

そうすると、どうしても別の言葉に置き換えなければならず、会話の中で咄嗟に「おしり」は「おけつ」に、「ぎりぎり」は「もうちょい」とか「少しだけ」とかに変換しながら暮らしている。(「キリギリス」だけは代替品が見つからず、キリギリスの話題になると押し黙るのはそのせいです。)

ちなみに、大学時代を関西で過ごしたので、これ幸いと「違う」を「ちゃう」と言い換える癖がついてしまい、それだけは遠州弁にシフトしたいまでもなおせない。必要にかられているのであって、関西弁を気取っているわけではないのです。


メディエーションでは、当事者の話を聞きながら、一方が放った尖ったことばを少し丸めたことばに置き換えてからもう一方に差し出すことがある。コンプレックスから始めて20年以上続けてきた「言い換え」の癖は、ここにきて自分の強みになるかもしれない。

いやー、人生って、わからないものですね。


青野 雅之