子供の頃から、イ段の発声がうまくできない。
特に苦手なのが「ち」、「き」、「し」、「り」。どうがんばっても、妙にくぐもった不明瞭な音になる。自分でも下手なのがわかるし、子供の頃はみんな遠慮がないから、面と向かって「何て言ってるかわからーん」とからかわれたりして、たまに泣いていた。
これは明らかにコンプレックスとなり、いまでもイ段が連続することば、例えば「おしり」とか「ぎりぎり」とか「キリギリス」とかは極力発言しないようにしている。
そうすると、どうしても別の言葉に置き換えなければならず、会話の中で咄嗟に「おしり」は「おけつ」に、「ぎりぎり」は「もうちょい」とか「少しだけ」とかに変換しながら暮らしている。(「キリギリス」だけは代替品が見つからず、キリギリスの話題になると押し黙るのはそのせいです。)
ちなみに、大学時代を関西で過ごしたので、これ幸いと「違う」を「ちゃう」と言い換える癖がついてしまい、それだけは遠州弁にシフトしたいまでもなおせない。必要にかられているのであって、関西弁を気取っているわけではないのです。
メディエーションでは、当事者の話を聞きながら、一方が放った尖ったことばを少し丸めたことばに置き換えてからもう一方に差し出すことがある。コンプレックスから始めて20年以上続けてきた「言い換え」の癖は、ここにきて自分の強みになるかもしれない。
いやー、人生って、わからないものですね。
青野 雅之
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