2015年12月30日水曜日

相続に関する司法書士の業務


 

司法書士は、相続に関する様々な業務を取り扱っています。

中でも最も多い依頼は、不動産の所有者が亡くなられたことをきっかけに、その相続人への名義変更、すなわち相続による所有権移転登記の依頼ですが、司法書士の相続に関する業務は、それだけではありません。

遺産の分割について当事者間で合意できない場合の調停申立書の作成、また、自筆証書遺言が作成されていた場合の検認申立書の作成、あるいは、相続人が多額の借金を相続してしまうことを回避するための相続放棄申述書の作成、そして、相続人に該当する方がいない場合には、相続財産管理人の選任申立書を作成したり、また、裁判所から選任されて相続財産管理人に就任することもあります。

人の死という最後の場面において、遺された相続人や財産に関して利害関係を有する方のために、司法書士ができることは、多数あるのです。

近年は、「終活」などという言葉も流行っていますが、高齢者が自分の死を目前にして、エンディングノートを作成したり、また、相続人間で紛争にならないように遺言書を作成する方が増えているように思います。

互いが生きていれば、相手が思っていること、考えていることがよく理解できなくても、相手方に「どう考えているの?」などと質問して確認することができますが、故人がどのような考えを持っていたのかは、故人が亡くなってしまった後では、直接聞いて確認する術はありません。

だからこそ、遺された人に伝えたい思いがあるのなら、エンディングノートでも、遺言書でも、手紙でも、ビデオレターでもどんな形でもいいから、伝えたい思いを残してあげてください。

ただし、相続財産の分配方法を確実に指定して置きたいなら、遺言書を作成して置く必要があります。

毎年、2月は「相続登記お済ですか月間」として、県内各地の特設会場と各司法書士事務所で、相続登記についての無料相談が開催されていますので、是非ご相談ください。詳しくは司法書士会のホームページをご覧いただくか、司法書士会事務局へ直接お問い合わせください。

 

井上史人

2015年12月18日金曜日

司法書士の専門性は・・・???

 センター長の小澤です。
 少々かたい話で申し訳ありません。
 私は、現在、日本司法書士会連合会の常任理事として、ADRの推進も担当させていただいております。
 そして、全国のADRセンターの担当者の皆様とさまざまな議論をさせていただいております。
 その一つが、司法書士の専門性です。
 つまり、この静岡県司法書士会調停センター「ふらっと」のように司法書士会が主催するセンターにおいては、司法書士の専門性を活かすことが利用者の皆様にとっても良いことは間違いなわけでして、その専門性をどんなものと考えていくべきか・・・という議論であります。
 司法書士には、さまざまな専門性があります。
 不動産登記や商業登記はもちろん、裁判業務や財産管理業務などなど。
 これらの専門性の中から、どの分野に特化していくのがいいのか?ということであります。
全国の皆様からは、さまざまな意見が出ます。
 現時点で多くの意見と思われるのは、「遺産分割による不動産登記」であります。
つまり、なんらかの理由により、相続人間の協議が整わない事件について、司法書士による調停人がそれを解決に導く・・というものです。
 しかし、これにはいくつかのハードルがあります。
 現在、「ふらっと」では、そもそも遺産分割事件が法律上取り扱えないことになっているからです。
全国の多くの司法書士調停センターも同様のハードルをかかえています。
 一方、言うまでもありませんが、利用者のニーズが第一でありますから、いくら司法書士に専門性があったとしてもニーズがなければ意味はありません。
 その点をしっかり認識したうえで、引き続き、議論を重ねていきたいと考えています。

2015年12月17日木曜日

長すぎる前説

私はそれほど話好きな方ではなく、気を使う必要のない人と一緒にいるときは何時間でも黙っていられる方ですが、それでもふと思いついたり思い出したりしたことを話すことはあります。たいしたことではないにしても、とにかくなにか言いたいことを思いついて話し出すわけですが、その「言いたいこと」にたどり着くまでに時間がかかりすぎるとよく夫に言われます。つまり話好きではないといいながら、話し出すと延々と話すことになってしまうのです。そして恐ろしいことに「言いたかったこと」にたどり着く前に何を言いたかったのか忘れてしまうことがあります。これが家族以外の人と話しているときであるとかなり親しい人であっても気まずい思いをします。(認知症の前兆ではないかと不安になることもありますが、何年も前からそうだったんだからと大丈夫だろうというおかしな理屈で自分をなぐさめています)少し後になってから何を言いたかったのか思い出しますが、その時にはもうそれを話すタイミングあるいは気力が失せてしまっていたりします。そういうときにきっちり「言いたいこと」を話し終える根性があるかどうかが、話好きな人間とそうでない人間の違いかな・・
などとのんきに考えていないで、フラットの勉強会でコミュニケーション能力の向上に努めなければ‼
(田ノ上美津子)
  

2015年12月10日木曜日

一輪車

先日、久々に一輪車に乗る機会がありました。いや~、実に何年ぶりでしょう。いやいや、何十年ぶりでしょう。乗れるかどうか不安でしたが、昔取った杵柄というのはすごいものですね。スーッと走り出しました。


一輪車が流行ったのはおてんば娘だった小学生の頃で、当時は朝から晩までこの一輪車に乗って出かけていました。一度乗れるようになれば大したことはないのですが、乗れるようになるまでの苦労は一入で、今でも鮮明に覚えています。


壁のフェンスにしがみつきながらサドルに腰かけ、やっとの思いでペダルを一漕ぎ。するとバランスを崩して地に足がついてしまう。フェンスの三本先に手を伸ばし、勢いに乗ってそこに辿りつく。次は五本先、その次は七本先。目標のフェンスの距離を徐々に伸ばし、身体中の感覚を研ぎ澄ませバランス感覚を身につけていく。そして・・・一輪のタイヤの上に絶妙なバランスを保てるようになったとき、スーッと走り出したのです。


このバランスの掴み方と走り出しって、何かと似ていると思いませんか。私は懐かしの一輪車で風を切りながら、話し合いの場を思い描いていました。当事者の絶妙なパワーバランスと空気感、そして想いのキャッチボールへ繋がる瞬間を皆さんも味わってみませんか。


見城美妃





2015年12月3日木曜日

ヒゲンゴ


非言語コミュニケーション。 

調停人は、当事者の発言以外にも、表情や仕草、醸し出す雰囲気などをよく読み取って、「こうは言っているけど、実際はどのように感じているのかな?」ということを考えたりしています。非言語の部分をまったく考慮しなかったら、きっと上っ面の理解だけで終わってしまいます。 

非言語コミュニケーションは、日常生活でも随所で重要な役割を果たしていますね。


例えば、赤ちゃん。

うちの生後2か月の赤ちゃんは、まさに非言語コミュニケーションのかたまりです。言葉を使わずに、火のついたものや、甘えたものなど、数種類の泣き声を使い分け、時には顔を赤くしたり、手足をばたつかせたりして、その感情を表現します。 

毎日その様子を見ているお母さん(妻)も、僕にはわからない微妙な泣き声の差異を感じ取ります。非言語コミュニケーションの上級者です。 

ついでに言うと、来週5歳になる上の子も、赤ちゃんを可愛く思う気持ちと、注目を奪われて疎ましい気持ちがないまぜになって、非言語でややこしい気持ちを表現してきます。いきなり蹴られたりします。 

うちではいま、非言語コミュニケーションが公用語となっています。
 

例えば、麻雀。 

当然、自分の手を相手に読まれてはいけませんし、逆に、相手の手を読まないといけません。ここでも、非言語が重要になってきます。 

普段饒舌なのに急に無口になったり、普段人の捨て牌を全然気にしていないのに、ある時だけ妙に注意深くなっていたりすれば、テンパイしてるのかな?と思われます。あ、僕のことです。 

上級者と対局すると、ひとつ捨てる毎に、自分の牌の並べ方の癖や、捨てる時の癖、狙う手の癖など、どんどん裸にされていく感覚があり、怖ろしいものです。目に見えない無言のプレッシャーを感じ、ガタガタになります。 

雀荘は、非言語コミュニケーションのトレーニング会場なのです。
 

あなたが気になる非言語コミュニケーションは、なんですか? 

ぜひ、非言語で教えてください。
(青野 雅之)
 
 
 

2015年11月24日火曜日

30キロの壁


私の趣味はランニングである。秋から冬にかけてはマラソンシーズン到来である。

1025日に「しまだ大井川マラソンinリバティー」出場したが、またしても失敗レースであった。

マラソンのレース中は、自分の体との対話を続けて体の調子・疲労の具合をみつつ、ラップタイムをチェックして予想ゴールタイムを計算しながら走っている。

マラソンには30キロの壁があるとよくいわれる。ランナーは30キロ過ぎに急に走れなくなることがある。マラソンの場合、息が苦しくなって走れなくなるのではなく、体内のエネルギーの欠乏、筋肉の疲労などにより体が動かなくなり走れなくなるのである。30キロの壁は、エリートランナーだけではなく、市民ランナーにも起こるのである。

これを克服するため常に自分の体と対話をして、エネルギーの欠乏や筋肉の疲労を抑えるようスピードをコントロールしたり、水分補給や食料補給をしたりしながら走るのであるが、これがなかなかうまくいかない。

エリートランナーは、カーボローディング(体内にエネルギーのもとになるグリコーゲンを溜め込む)とスペシャルドリンクにより、23時間で42.195キロを駆け抜けるので食料補給などはしない。高橋尚子がバナナを食べながら走っているところなど見たこともない。

ところが、我々市民ランナーはゴールまで45時間を要するので、水分と食料の補給をして体を維持しないともたないのである。

体の状態はその日の天候や体調、精神状態などにより刻一刻と変化するので、体の状況を冷静に判断するのは難しく失敗レースが多くなってしまうのである。その最大の原因は心の問題である。レース当日は、どうしても興奮状態にあり、多少のハイペースも気にならず走れてしまうのである。そして、自分の体調が良いのではないか、トレーニングにより走力が強化されたと錯覚してそのまま走ってしまうのであるが、30キロくらいになると、体は正直で壁にぶつかることになる。

皆さんは、そんなことはわかっているのだから、セーブして走ればとお思いでしょうが、セーブして走ろうと思っていてもレース当日は、いろんな思いが頭の中で交錯してうまくいかないのである。特にシーズン初めのレースでは、その傾向が強くなる。

常に自分の体と心をコントロールして、状況を冷静に分析することが何事にも大切なのである。わかっちゃいるけどそれができない市民ランナーの独り言でした。

宮内豊文

2015年11月17日火曜日

よかれと思って


幼かったころ、祖母がお土産でハンバーガーを買ってくることがありました。そんな時、私は大いに喜び、包装紙に残ったソースまですすって食べたものです。40歳をとうに過ぎた今でも、その大手チェーンのハンバーガーは、私にとってごちそうで、誕生日にはつい食べてしまいます。

 

そんな私、学生時代にそのハンバーガー屋さんでアルバイトをしていました。アルバイト初日、先輩店員が開口一番私にいったことは今でも忘れません。

「うちはファーストフードじゃないから。時間がかかっても美味いものを出せ。」

 

 学生時代、概ね腹を空かせていた私は、美味しいものに加えて、「お客さんはボリュームのあるものを喜ぶだろう」と考え、トッピングやソースなど、規定の量を上回るハンバーガーを自主的に提供していました。

 

 ある日、バイク野郎の先輩アルバイトと二人で店番をしていたとき、まだすこしぎこちない感じのアベックが来店しました。注文を受け、私はいつもの感じで大量のレタスを挟んだテリヤキバーガーを作りました。それをかごに載せ、アベックのもとに運ぼうとしたとき、一緒に働いていたバイク野郎が私を制止しながらこう言いました。

「おめぇ、そんなデカいテリ、どうすんだ!あのコが彼の前でデカい口を開けられると思ってんのか?かわいそうだろ!」

 当時の私は、食事について「量が多い=Best」と考えていました。しかし、万人がそうではない、いやそうではないときがある、二十歳前後の私はそんなことを学びました。爆音鳴らして深夜の街を疾走するバイク野郎から。
 
(小楠展央)

 

2015年11月12日木曜日

戻る勇気!?


交通渋滞に巻き込まれ、裏道を抜けようとして迷ってしまったことはありませんか?
 
 
私は、よくあります。方向音痴なんで・・。
高速道路に入り、東京方面に行きたいのに名古屋方面に行ってしまったり。高速道路から降りなければならないのに、ボーっとしていて降りるのを忘れてしまったり。(これは方向音痴とは関係ありませんね。失礼)
 
さて、みなさんは道に迷ったらどうしますか?
速やかにもと来た道を引き返しますか、それとも、ひたすら突き進んでしまいますか?
 
私は、後者です。とにかく、行けるところまで行ってしまいます。
 
ええ、もちろん。
迷ったら、来た道を引き返したほうがいいに決まっています。
 
でも、ダメなんです。
 
 
自分でも、もと来た道を引き返したほうが無難であることは分かるのですが、裏道を選択したことが誤りだったことを認めたくなくて、つい自分に対して強情になってしまうのです。
 
何を言いたいかというと、この感じって、相手とトラブルを起こした当事者にも当てはまるときがあるのではないでしょうか。
つまり、相手と口論するうちに自分に落ち度があることが分かり、謝らなければならないのに、それを認めたくなくて、ついムキになって相手に強く当たってしまう感じ。
 
そんなとき、お互いの言い分をしっかりと受け止めて、当事者の素直な感情や言葉を引き出すことのできる調停人になりたい!
 
そう思ったある日の深夜のことでした。
 
 
で、行けるところまで行った結果、車の幅とぼぼ同じ細い道に突入し、車のボディーを大きく傷つけて、一昨年の10月に車を買い替えました(泣)。
 
 
                            増田真也

2015年11月4日水曜日

“ふらっと”を支える人たちを支える筆記用具?!

当ブログの「シリーズ~“ふらっと”を支える人たち」
では、調停の現場を支える様々な役割が紹介されています。

先日、ある期日の調停人として調停室の準備を
していたことろ、綺麗に削られた10本ほどの鉛筆が
目に飛び込んできました。





その日の「観察者」のものでした。

「鉛筆、ですか?」
「シャーペンやボールペンではなく?」

「鉛筆の方が書きやすくて・・」

この方は、トレーニングのときにも、細部に渡り
メモとり、当事者の表情や言葉遣い、そこに
関わる調停人の役割を見事に再現してくださる、
正に、観察の達人です。

達人は筆記用具にもこだわりがあるのだなと
関心した瞬間でした。

と同時に「“ふらっと”を支える人たち」
でも紹介されているように,様々な方々の支え
があって、調停の現場が成り立っていることを
あらためて感じた瞬間でした。

運営委員 名波直紀

2015年10月27日火曜日

負けリスクの回避

“ふらっと” の売りのひとつが「話し合いによる解決」。
訴訟により解決策を押し付けられるのではなく、自分たちで解決策を模索したいというニーズに応えていこうというのが、“ふらっと” の理念でもあるわけだ。

私自身、受任事件について訴訟ではなく “ふらっと” を選択したケースが数件ある。
このときの選択の基準は、やはり「話し合いによる解決」を依頼者が希望したという理由もないわけではないが、むしろ「話し合いによる解決」を選択せざるを得ない状況だったことの方が大きい。

というのも、訴訟に勝つためには「立証責任」というハードルがある。
事案ごとにいくつかの立証というハードルをきれいに飛び越えて判決というゴールにたどり着かなければならないわけだが、途中、ひとつでもハードルを倒してしまう(つまり、立証に失敗する)と、負け判決を甘受しなければならない・・・  これが、訴訟の基本ルールだ。

“ふらっと” を選択した事案は、いずれも証拠がなく、立証責任を果たすことが極めて困難な事例ばかり。もちろん、和解狙いの訴訟選択もありうるが、相手が和解に応じない場合には、負け判決が下される可能性が高い事案だった。

訴訟の勉強をしていると「うまく負ける」なんて言葉を耳にするが、私たちは、いわば負け方の一手段として “ふらっと” を選択するケースもあるのだ。
                                            (中里) 

2015年10月19日月曜日

リスク管理って難しい!!~やぐら鶴


2カ月に1度、静岡県青年司法書士協議会主催、
Rcafeしずおかという勉強会が開催されています。

Rcafeしずおかはコミュニケーションと、メディエーションを
勉強する会です。”ふらっと”の行っている調停スタイルですね。

10月16日は日本大学堀北哲也教授と獣医師の柴田正志先生
をお呼びして「やぐら鶴」というゲームを行いました。
やぐら鶴はチームビルディングを学べるゲームです。
このゲーム、チーム戦で勝敗を決めることになるのですが
奥が深くて、何度経験しても勝てません(泣)


経験が有利に働くこともあれば
思い込みを生み、不利に作用することもある


チームワークよく準備が万端だとしても
予期せぬアクシデントは必ずある
リスク管理をどうするかが課題


情報の共有と精査
短時間の中でどのように声掛けをし合うかが重要

来年も二人の先生をお呼びして「やぐら鶴」を
開催する予定です。
ぜひみなさん、ご参加してみてください!


副センター長 芝知美



2015年10月15日木曜日

ふらっとに関わって学んだこと


調停センター“ふらっと”が法務省の認証を取得し設置されたのが平成21年、早いもので足掛け7年となりますね。

前身であったADR研究会から“ふらっと”開設当初にかけて、多くの勉強会に参加し、また、実際の事件も担当させていただきました。応諾者の方からかなり厳しい口調で延々と電話で怒鳴られたことも今では懐かしい思い出です。

この経験から多くのことを学びました。特に「傾聴スキル」と「コミニュケーション能力」を学んだことが一番大きかったと思います。その後の実務に大いに役立ったことは間違いありません。

「傾聴」は日常、事務所で相談を受ける場面、また、市民相談や各種相談会などで大いに役立っています。相手との信頼関係が構築され、相手をしっかり理解できることによって、相談の本質も分かってくるようになりました。

「コミュニケーション能力」についても、後見活動で被後見人やその家族と意思疎通を図り、より良い関係を作りたい場面で役に立っているし、また、各方面いろいろな業種の方との話し合いの場面でも大いに役に立っていると思います。

“ふらっと”は現在、ベテランの方、中堅の方、新入の方など多くの方が運営、活動されていると思います。これからも大いに活躍されることを期待します。
いけがやみちお

2015年10月9日金曜日

公開メディエーショントレーニング

9月末の土日、東京で司法書士による調停の研修会があり、私は事務方として運営に関わりました。この研修会、複数の事案が用意され、参加者がそれぞれ調停人役、申込人役、相手方役になって調停の模擬を行うもので、役作りの部分から時間をかけて真剣に取り組んだため、参加者は本物の調停に近い経験をすることとなりました。

こうした研修に参加すると、普段使っていない脳のどこかが稼働するのか、頭の中が非常にざわつく感じがします。「話し合い」についてとか、自分に何ができるかなど、考えてもすぐには答えの出ないようなことをいろいろ考え、その考えが頭の中をぐるぐる回っている感じで、そんな状態が2、3日続いたりします。

調停の当事者にも同じようなことが起こるのかな、と思います。
話し合いをする前は、いかに自分が正しいか、いかに相手が間違っているか、という主張に終始します。でも調停の場でどこかのスイッチが入ると、自分に出来ることを一生懸命考えるようになります。「自分が絶対正しい」と思っているうちは、そんなことは考えようともしなかったはずで、その思考の変化が、問題の解決に向けて合意を形成する土台になるのかな、と思います。

調停のことをつらつらと綴りましたが、当センターで行っている調停がどんなものなのか、一般の方にはなかなかイメージしにくいかもしれません。
このHPにも案内がありますが、当センターでは11月3日(祝日)、一般の方向けの研修会「公開メディエーショントレーニング」を開催します!興味のある方は是非ご参加ください。 (いぐち)

2015年10月2日金曜日

ある会社の視察にて

 先日、お客さんをすごく大切にし、またそこで働く人もすごく楽しそうに働いている会社があるということで、地元の人たちと、その会社の視察に行ってきました。

 行ってみたら、確かにすごい!!  
 会社の玄関には、「ここに来てくれた人が私たちの会社にとって最も大切な方です」と書いてあり、社員みんなでお出迎え、大きな声での挨拶はもちろん、視察に来た人の1人1人の名前が玄関に貼られ、スリッパや出されたおしぼりにまで1人1人の名前が刺繍されてありました。

 また、朝礼も見せて頂いたのですが、誕生日の社員の人には、他の社員全員からバースデーカードが朝礼中に手渡しで渡され、全員からおめでとうコール! 社員の方の照れくさいjけどうれしそうな表情がとても印象的でした。

 帰るときもまた社員の方にお見送り頂き、その時はバスで行ったのですが、バスが見えなくなるまで社員みんなが手を振ってくれていました。、
 帰りのバスの中でも、同行した人みんなが「すごかったね」「感動した!」「みんな楽しそうに働いてるよね」「うちの会社もああなったらいいな」など、この会社の話題で持ちきりでした。

 この会社は静岡県外にあります。会社の人たちからすれば、もしかしたらもう2度と出会うことがない人かも知れない、取引があるお客さんでもない、だけどそんな1人のために心を配れる人たちがいる。視察だからと言えばそうなのかもしれませんが。「社長から言われたから」のような義務感ではなく、本当のものであるように自分には思えました。
本当にすごいと感動したし、一期一会ってこういうことをなのかなと思いました。

 振り返って、自分はこんな気持ちでお客さんと接しているのか、本当に一期一会の気持ちで仕事をしているのか、単なる事務手続になっていないかなど、すごく考えさせられるいい経験をさせて頂きました。また改めて気持ちを入れて仕事をしていこうと思いました。

 佐藤圭

2015年9月23日水曜日

非言語コミュニケ―ションと信頼関係

去る9月11日から9月13日までの三日間、地元の祭りに参加しました。

私の地元の浜松市浜北区宮口のこの祭典は、全部で屋台が9台も終結する、この地域でも規模が大きいもので、三日間屋台を引き回すので正直体はボロボロです。

4年前、私と私の旧知の友人と二人で若連の組長と副組長を担いました。事前の準備は当然ですが、一番の大仕事は当日の屋台の運行支持です。拍子木を打って屋台の出発や停止の指示、拍子木を傾け屋台の舵を切る、拡声器を使っての支持等です。

正直、かなり面白かったです(笑)

自分の支持一つで数十人のメンバーが一斉に行動を開始するなど普通ありえませんから。

ただ、ホントに細かい部分や屋台の舵を切る微妙なタイミング、突発的な事柄に対する対応などは、殆どがジェスチャーやアイコンタクトです。(お囃子や太鼓の音で支持が届かないこともあるので)

特に舵を切るタイミングなんてチョット誤れば屋台は田んぼの中に落ちてしまって大事故です。

このジェスチャーやアイコンタクトが成立する条件って、普段からの相互の信頼関係なんだと思います。相手を信頼する、相手から信頼されるって、すごく難しいですが、人間関係で一番大事なことだと感じました。

三日間の祭りを終えた後、若連のメンバーから(労を労う意味で)胴上げされたのですが、感動もんでした。
 
 
(池谷大介)

2015年9月17日木曜日

何故話し合うの?





    
                                                            
9月6日、「法と教育学会~子供の法意識・法知識と法教育」が早稲田大学で開催されました。
私は、小学校~高校における様々な法教育の研究・実践を発表する分科会に参加しました。実際におこった事案を題材に、異世代の意見の相違を確しどう考えていくかで話し合った事例等が発表されました。

 一例をあげます。
所沢市での住民投票となった、学校にエアコンはいるのか?の事案

   大人の意見:   子供は(暑さ)我慢するものだ。
              私たちはそうしてきた。
               税金の無駄遣い。
               子どもは外で遊ぶものだ。

   子どもの意見:  入間基地の騒音がうるさくて、勉強に集中できない。
                    学校は勉強するところだ(快適な環境)。
                    子どもには、我慢させて、大人はどうなんだ?

話合い後の感想:答えを出すことが大事なのではない。
       話し合うためのルールに気づくことで、円滑に話合
       いができる。
       自分たちがどのような立場に置かれているかを理解
       できの立場についても理解できる。
      

        
 答えを出すための話合いから、何故私たち話し合っているの?と視点が変化し、互いを理解しようすることが、問題解決の入口なのだなと感じました。それぞれの立場で、一つの問題も違う見え方となりますが、相手の考えや思いを知ることで、景色が変わってくるのでしょうね。
まさしく、ふらっとの趣旨ですね。

「私たち、何故話し合うの?」と問い直してみたら日々の景色も変わるかな?

「法と教育学会」は、小・中・高等学校における法教育、大学法学部における法学教育、法科大学院・司法研修所における法曹教育、そして法律専門家に対する研修・教育のあり方について総合的に研究し、 それを教育の現場で実践するため、法学、教育学またはこれらの関連分野における研究 もしくは実務に携わる方の研究上の連絡・協力を促進することを目的とした学会です。 (法と教区学会のHPより)
                                      2015.9.17 御室

2015年9月12日土曜日

手段か中身か

20年ほど昔のことですが、とある新聞社の就職説明会に参加したときのこと。

その頃はまだ、現在ほどインターネットが普及しておらず、

それどころか携帯電話もPHSが主流で、2人に1人もってるかどうかという時代でした。


んで、その場で新聞社のお偉いさんはこう仰るわけですね

「最近、インターネットだの電子メールだの、携帯電話などというものが流行っているが

あんなものは血が通っていない、温かみがない、人間的ではない」、と。


それは、新しいメディアに対する本能的な嫌悪感や警戒感であったのでしょうか。

現在、インターネット掲示板やツイッター、facebookはテレビや新聞の影響力を

脅かすような勢いで成長しています。


しかしその一方で、私自身も似たようなことは感じていました。

「メールで気持ちが伝わるんだろうか」


そんな ことを考えていたことを思い出す記事を、最近インターネットで見つけました。

インディアナ大学の研究者たちが、好きな人への告白において

SNS、電子メール、ボイスメール(留守電)のどれが効果的なのかと。


私は、その中だったら、留守電がいいだろうなと思ったのですが

結果は「電子メールが一番効果的だった」というものでした。

メールは送信する前に念入りに推敲されるのが

想いを伝えるのに効果的だったのではないか、

と分析されていました。


被験者が18歳前後という若者中心だったということも

このような結果となった要因なのでしょう。

幼いころからメールを使う機会があったでしょうから。



コミュニケーションは時代と共に手段が変わっていく。


でも、肝心なのは伝えようとする中身であることは変わらない。

年寄りみたいな感想ですが、オッサンなので仕方ないですね。


調停員 竹下

2015年9月8日火曜日

 最近、囲碁の勉強をしています。

 時々、インターネットで囲碁ソフトを相手に打つことがありますが、私の棋力では簡単に囲碁ソフトに負かされてしまいます。
 将棋ではプロ棋士とコンピューターが互角に戦えるようですが、囲碁の世界ではまだまだプロ棋士が強く、コンピューターはハンデをもらっているようです。

 囲碁のソフトが将棋のソフトと違いまだまだプロに勝てない理由の一つに、指し方や状況を判断するための評価関数が作りづらいことがあげられるようです。
 将棋ではそれぞれの駒の価値が違うためその評価をしやすいことと、相手の王を取るという目標が明確なので、評価関数が作りやすいとのこと。
 囲碁では、石の価値はどの石も同じですが、石を置く場所やタイミングでその石の価値が変わり評価をしづらいとのこと。

 囲碁で使用するのは黒と白のただの石。どの石も価値は同じ。でも、石を置く場所やタイミングでその石が輝きを放ったり、価値が無かったり。
 
言葉も同じで、全く同じ言葉でも、その言葉が発せられた状況やタイミングで輝きを放ったりするのではないかと思いました。
 
 
渡 辺 卓 也




2015年8月29日土曜日

肩狐狸庵ICHIの「あの日見たマークの名前を僕たちはまだ知らない」


私の庵(事務所)は、静岡県東部の中核都市、

富士市の閑静な住宅街の端にある。

 

私自身、慌ただしい日常から脱しようと

海外に足を延ばすときがある。

 

ただ、バスや電車、地下鉄など地域の公共機関を

利用したときに目に入ってくる人々の風景は、

実際、日本で見る風景とあまり変わらない。

 

まるで何かにコントロールされているかのように

自らの手の中(スマホ)を凝視している若者が

その場に自分だけの空間を作っている風景は

何処の国も同じと感じる。スマホ恐るべし!




 

さて、今回アジアのある国に出向いたとき、

日頃目にしていなかった「HALAL」という

マークを、レストラン、スーパーの店先、お菓子や

飲み物などのパッケージに見つけた。

 

ご存知の方も多いと思うが、「HALAL」は

イスラム教において合法的なもという意味で、

食品に関していえば、ムスリムの人が食べても

大丈夫というだけでなく、ムスリム以外でも

清潔で健康的な「HALAL」食品は良いもので

あることには変わりない。

 

確かに変わらないといった風景以上に

日本では見ない多民族で構成されるアジアの

国々は、互いにその価値観、認識の違いを

理解したうえで、共存共栄の道を歩いているようだ。

 




 

単一民族(諸説あり)といわれ、言わなくても

分かり合えると豪語していた日本とは違い

分からないからこそ理解しようという姿勢が

その国には伺われた。

 

かの大国も自らの思想を押し付けるのではなく

お互いを理解しようとすれば、この世界も

もっと平和になっていたのではと個人的に思う。

 

だが、「言わなくともわかりあえる」と言っていた

我が国も、現在では矢張り、話さなければ

分かり合えない社会になってきている。

 

それでも話し合うことが出来れば、

まだまだ我が国は互いを十分理解できる

土壌は存在しているし、そのような場を

例えば“ふらっと”のように提供している組織もある。

 







 

それにしても気にしだすと「HALAL」

マークは何処にでもあり、気にしなくても

アジアの大国の旅行者は騒がしくいる。

 

…あっ、「HALAL」マーク見っけ!

…「見っかっちゃった。(byHALAL)」

 

分かる人には分かるオチだが、

必要であれば話し合いましょうか。

 

2015年8月20日木曜日

フューチャーセンター@司法書士会館

昨日、青年司法書士協議会主催で、県立大学の学生さんを招き、フューチャーセンター「司法書士をもっと身近に感じてもらうためには」を開催しました。

フューチャーセンター(FC)とは、組織の中長期的課題をオープンイノベーションを目指して、話し合いによって新しいアイデアを見つけ出していくものです。

常葉大学の学生さんや社会人の方も加わっていただき、とても楽しいセッションでした。

私もそうなんですが、司法書士は頭が硬くなりがちなので、まじめにちゃんとやろうとしすぎてしまいます。ただ、それだとやはり息が詰まるんですよね・・・。

新しいアイデアを出すときには、まずは質より量。そして、自分と立場が違う人の話に耳を傾ける、この作業が大切なんだなと思いました。

ふらっとやメディエーションの普及活動に、このFCは使えますぞ!

追伸
常葉大学の学生さんが、メディエーションにとっても興味をもってました。大学生の力借りて発信していくのもいいですね!!

                                                 事務長 佐藤麻妃

2015年8月13日木曜日

言葉の発達


こんにちは。

運営委員の井上史人です。

私には、2歳半の子供がいて、今、いろいろな言葉を急速に覚えています。

両親の私たちもびっくりするほど、その場面に的確な言葉を発っするときもあり、あるときは驚かされ、あるときは、妻と爆笑してしまうこともあります。

先日お世話になっている会計事務所の事務員さんがいらっしゃって、その事務員さんにも同世代の子がいるため、前述のような話をしていたら、その事務員さんの3番目のお子さんは、まだ、言葉がうまく話せないときに、2番目のお子さんが何でも先回りで察知して手助けしてしまったため、3番目のお子さんの言葉の発達がかなり遅かったということを聞かれました。

その話を聞いたとき、言葉(コミュニケーション能力)は、自分の思いや考えを上手く伝えられないことによるストレスによって、上達するのだなということに気が付きました。

それからは、子供が何をしてほしいのかよくわからないときでも、あえて推測で考えを読み取ろうとはせず、「何がしてほしいのかきちんと言葉で話してごらん」と、話をさせるようにしています。

ふと、これは調停の場面でも通じるものがあるなと思いました。

先日の事例検討会に出席したとき、ある方が「いい調停とは、調停人ががんばりすぎない調停である。むしろ、調停人には任せておけないから当事者自身がかんばらなくてはと思う位がちょうどいい」という趣旨のことを言っていました。

どんな場面でも、他人に任せておけないという状況が人を育てるのでしょうね。

2015年8月7日金曜日

ふらっとに求められているものは・・・???

 センター長の小澤です。
 ここのところ、裁判所における調停事件に関与することが多くなっています。
 簡易裁判所における民事調停の代理人として期日に出頭したり、家庭裁判所における家事調停事件に遺言執行者の立場で期日に出頭したり。
 また、簡易裁判所における民事訴訟においても、期日において、和解交渉をする機会も少なくありません。
 さらに言えば、いわゆる当事者支援として、調停申立書の作成という形でかかわることもあります。
 共通するのは、いずれも裁判所の中で行われているという点です。
 裁判所によって選任された調停委員2名が、当事者周双方の話を聴き、合意点を見出します。
裁判所で行う話し合いの手続ですので、訴訟に比べて、一般の方にも利用しやすくなっていますし、裁判所という信頼の厚い機関で実施されることから、需要も高いわけであります。

 一方、現在、最高裁は、民事調停の機能強化を掲げております。
 これは、民事調停事件の減少が背景にあるわけですが、次のようなこともふれられています。
 すなわち、裁判外の紛争解決機関、このふらっともその一つでありますが、そのようなADR機関の増加により、裁判所の調停ではなく、ADR機関による紛争解決が行われている事件も相当数ある現状において、裁判所の民事調停に求められている機能は何か、利用者である市民が裁判所に求める機能は何か・・・というようなことであります。。
 ひとつの大きなニーズとして、裁判所の主導による公正なジャッジというものがあげられましょう。
乱暴な言い方かもしれませんが、一部の事件における調停を訴訟に近づけるイメージでしょうか。

 さて、では、ふらっとのような民間のADRセンターに求められるものは何か?
 裁判所には無くて、ふらっとにはあるものは何か?
 常にそれを考え、少しづつでも実践し、よりよい方向に変化することによって、徐々に、ふらっとが市民に認知されていくのだろうと考えているところです。

2015年7月30日木曜日

人工知能とコミュニケーション

少し前の新聞に人工知能について書かれているもの(といっても人工知能そのものがテーマではなく、研究、開発を無制限に進めていくことの倫理的な問題についてだったと思う)があり、そのなかに、「人間はできることは何でもやってしまう。脳がそれを要求する」つまり、倫理的な理由からしないほうがよい研究開発であっても可能性のあるものはやらずにいられないのが人間であるというような趣旨の文章があって、少し衝撃を受けた覚えがあります。
なぜこんなことを思い出したかというと、このブログを更新するためのパソコンの操作がどうしてもうまくいかず、①パソコンとコミュニケーションがとれればいいのに→②でもパソコンには意思があるわけじゃないし→③そのうち意思のあるコンピューターができたりするのかな・・・ということが頭に浮かんだからです。
コミュニケーションをうまくとるにはベースとなる知識(言語も含めて)が共有されていることが大事だと思いますが、その知識が足りないことが(日本語は問題ないと思っていたけど最近それも自信がなくなってきました)私が人とうまくコミュニケーションが取れない原因のひとつかなという気がします。
人工知能とコミュニケーションがまったく結びついていない変な文章になってしまったのは暑さのせいということにしておいてください。

田ノ上美津子

2015年7月23日木曜日

伝言ゲーム

急に暑くなったり、台風の影響を受けたり、天候が不安定で体調管理が難しい今日この頃。情けないことに風邪をひいてしまいました・・・。皆さんは大丈夫ですか?気をつけて下さいまし。
そんな私、先日、久々に親族が集まり賑やかな時間を過ごしました。そこで!懐かしの「伝言ゲーム」をやることに。子供心を取り戻しながら、思いっきり楽しみました。あのゲームをやるたびに思うのですが、本当に不思議。だって、ただ受取ったままに次に伝えるだけなのに、そんな単純なことなのに、なんで最後尾になるとまるで違う話になっちゃっているんでしょうね。たかがゲーム、されどゲーム。いい大人が本気になっても完璧な伝言は一度もないまま終わりました。
ただ伝言するだけですが、人を媒介することでこんなに情報が変化していってしまう。これが想いだったらどうなるのかなって想像したら、ちょっぴり怖くなりました。「自分の想いは自分の言葉で直接相手に届ける」これって大切だなって改めて感じた伝言ゲームでした。

2015年7月9日木曜日

キリギリスの話に入れない話

子供の頃から、イ段の発声がうまくできない。

特に苦手なのが「ち」、「き」、「し」、「り」。どうがんばっても、妙にくぐもった不明瞭な音になる。自分でも下手なのがわかるし、子供の頃はみんな遠慮がないから、面と向かって「何て言ってるかわからーん」とからかわれたりして、たまに泣いていた。

これは明らかにコンプレックスとなり、いまでもイ段が連続することば、例えば「おしり」とか「ぎりぎり」とか「キリギリス」とかは極力発言しないようにしている。

そうすると、どうしても別の言葉に置き換えなければならず、会話の中で咄嗟に「おしり」は「おけつ」に、「ぎりぎり」は「もうちょい」とか「少しだけ」とかに変換しながら暮らしている。(「キリギリス」だけは代替品が見つからず、キリギリスの話題になると押し黙るのはそのせいです。)

ちなみに、大学時代を関西で過ごしたので、これ幸いと「違う」を「ちゃう」と言い換える癖がついてしまい、それだけは遠州弁にシフトしたいまでもなおせない。必要にかられているのであって、関西弁を気取っているわけではないのです。


メディエーションでは、当事者の話を聞きながら、一方が放った尖ったことばを少し丸めたことばに置き換えてからもう一方に差し出すことがある。コンプレックスから始めて20年以上続けてきた「言い換え」の癖は、ここにきて自分の強みになるかもしれない。

いやー、人生って、わからないものですね。


青野 雅之

2015年6月28日日曜日

先日のRcafeは”ふらっと”プレゼンツ!

2ヵ月に1度、「対話」を中心に
コミュニケーションについて考える
Rcafeしずおか、が開催されています。

先日のRcafeは"ふらっと"のメンバーが
ファシリテーターとなり、
メンバーも含め30名の参加者と共に、
対話の前提となる人の「違い」について
ワークを行いました!



今回のファシリテーター、
ふらっと運営委員の見城美妃さんです!


ワークの内容について、
ご紹介させていただきます。

田中さんと斉藤さんのお金に関するトラブルに
ついて考えるワークでした。

田中さんと斉藤さんには、
各々いくつかの基本情報が設定されています。
シートに書かれた基本情報に基づき、
田中さんと斉藤さんの事情や思いを
推理小説を読み解くように
参加者一人一人が回答シートに向かって
検討していきます。

検討するのは・・

田中さんの事情や思い、
その事情や思いを抱えた田中さん
から見える斉藤さんの事情や思い

斉藤さんの事情や思い、
その事情や思いを抱えた斉藤さん
から見える田中さん事情や思い

参加者自身もどちらの当事者の立場に
立つかによって、見え方が違います。

ましてや、グループで複数の方々と検討すると
全く違った見方が見えてきます。

参加者全員が人の「違い」について
ここまでじっくり考えたことは
なかったのではないでしょうか。

今回が初めてとは思えない
ファシリテーターの見城さんの
見事な進行によって、
とても有意義な時間となったと思います。
(アンケートの集計が楽しみです)

運営委員 名波直紀









2015年6月15日月曜日

ふらっとの利用料を改定しました!!

この度、調停センター“ふらっと”では、
より多くの方にセンターを利用していただくため、
利用料の改定しました!
但し、平成27年6月15日から平成29年3月31日
までの期間限定です。

改定前 申込時50,000(消費税別)
をお預かりしていました。
(申込手数料20,000円+期日開催費3回分)

      ↓    ↓    ↓    ↓

改定後 申込時25,000(消費税別)
をお預かりします。
(申込手数料15,000円+期日開催費1回分)


また、静岡県司法書士会館以外の場所で調停を実施する場合でも、
会場費や調停人の交通費はいただきません。


詳しくは、054-289-8741(ハナシ・アイ)
までお問い合わせください。

相談無料です。



2015年5月9日土曜日

子どものこころの勉強会に参加してきました!


昨日、子どものこころの勉強会
http://kodomokokoro.blog.so-net.ne.jp/
に参加してきました。

講師は、ふらっとの市民公開講座でもご講演いただいた
山口権治先生です。




テーマは「不登校・いじめの防止を目指したピアサポートの実践」

山口先生のご講演は何回お聴きしても、新たな気づきがあります。

今回は、「人とつながる力を育てることがピアサポート」
という言葉が心に響きました。

参加者は、病院の心理士、スクールカウンセラー、
スクールソーシャルワーカー、教職員、福祉関係の方々
が中心でしたが、山口先生の指導の下、高校でピア・サポート
を実践されていた生徒さんたちが大学生になられて参加されていました。

なんと、大学でもピア・サポートのサークルを自主的に作るために
活動中とのこと!

山口先生の実践の輪は、高校だけでなく、大学にも波及しようとしています。

海外では、大学にピア・サポートの仕組みがあるか否かが重要な選択の
基準になっているところもあるようです。

講演の中で、先日のふらっとでの市民公開講座の様子を報告する機会を
いただきました。
「大人の世界でも」対話による紛争解決の実践がされていることをしっかりと
PRしてきました!

副センター長 名波直紀