2016年4月30日土曜日

観覧車

観覧車に乗ってきました。


午前9時半の開場直後から、強風のため回転中止になっていましたが、午後2時半ごろには風も弱まり、回転が始まりました。

観覧車というのは、園内のどこからでもその存在が確認でき、また、園外から遥かに見渡す際にも、真っ先に目に飛び込んでくる、まさに遊園地の象徴といえるオブジェクトです。

そんな観覧車が止まっている、という状況は、遊園地そのものは稼働していながら、なにかが決定的に欠けている、そんなやるせなさ、喪失感を与えるものです。

2度目となるイルカのザブーンの列に並びながら、ふと見上げた青空にゆっくりとその巨体を揺り動かしている観覧車を発見し、娘は歓声をあげながら私の手を引きました。


彼女は、観覧車が好きなのです。

怖がりで、あまり動きの早い遊具には乗りたがらない彼女には、動きはゆっくりでも、通常では考えられない高さまで昇り、少しの風でも大げさに揺れるゴンドラは、最高のエンターテイメントなのです。


てっぺんまで昇ったゴンドラの中で、私は娘に問いました。

もし、このゴンドラの床と座席だけ残して、左右や上方の囲いがすべて無くなったらどうする?

娘も、私も、想像しました。それまで、絶対の信頼をおいて寄りかかっていた背もたれがなくなる。どんな強風も遮ってくれていた囲いがなくなる。

それは、ひどく怖ろしい想像でした。思わず私は、惨めにも床に這いつくばり、風に飛ばされないように必死でしがみつきました。


連休はまだ始まったばかり。


青野雅之



2016年4月22日金曜日

熊鈴

 毎年春になるとカレンダーを眺めては山行計画を考え始める。昨今の登山ブームで、夏山はどこも人々でごった返していて、連休ともなると、どこの山小屋も満員で、ピーク時には1枚の布団に23人という状態になる。夜トイレに起きたら戻る場所が無かったなどということも珍しくない。昨年のシルバーウィークの5連休などは大変な混雑で、部屋に入りきらずに通路の廊下も一杯であった。

そんな山小屋の混雑を避けるため、私は重いテントを担いで山に登るのであるが、最近私を悩ませているのが熊鈴の存在である。山中で熊に遭遇することを避けるため鈴を鳴らし、自分の存在を野生動物に知らせようとするものである。北海道などでは、小学生が熊と遭遇するのを避けるため、歌いながら登下校するという話を聞いたことがある。

私は、山中で熊と遭遇したことが無いが、動物園の柵越しに対面しただけでも、恐怖を感じるのであるから、柵が無ければその恐ろしさは計り知れないであろう。

熊も人の存在に気がつけば、人との遭遇を避け、遠巻きにこちらを観察しているようであるが、偶然の出会い頭が最も危険で襲われる可能性が高い。これを避けるために熊鈴を鳴らすのであるが、この鈴を所かまわず鳴らし続けるので敵わない。

山道具のショップには、必ず安くない熊鈴が置いてあり、皆これをザックに付けるのである。たまに「チリンチリン」鳴るなら可愛げもあるが、ずっと鳴り続けるのであるから始末が悪い。

私の山行は、単独行が殆どなので、人気の無い山歩きの場合には、熊鈴が必携なのだが、私は消音機能付を愛用している。人と頻繁に行き交うような場所では、うるさいので音が鳴らないようにしている。

夏の人気の山域では、登山道が銀座なみの人込みで、そんな場所には熊ものこのこ(・・・・)現れはしない。それにもかかわらず猫も杓子も「チリンチリン」やるのでたまらない。思わず前を歩いている人の鈴をむんず(・・・)と摑んで「あなたが歩く道には熊は出ませんよ」と伝えたい衝動に駆られる。富士山でも同様に熊が出ないにもかかわらず皆「チリンチリン」やるのである。

鈴の一番近くにいるのは、鈴を付けている本人なので、その人が一番うるさい筈であるが、自分の出す音は気にならないらしい。


宮内豊文

2016年4月13日水曜日

ある朝


朝起きて、カーテンを開けた。晴れでも雨でもなかった。どんよりした曇天でもなく、強いていえばうす曇りといったところか。あまり描写の言葉が浮かんでこない。顔を洗い、食卓についた。茶碗には冷えた麦飯。いつかのテレビ番組で、米と麦を半々の割合で炊いた麦飯がダイエットに良いといっていたので、盲目的に取り入れている。おかずは梅干し。私の姿を見た看護師が反射的に「梅干し食いな。」といったので、これも採用。朝食を終え、用を足し、朝シャン。身体をふき、衣紋掛けにかかった干したままのシャツに袖を通す。「さぁ!」とも「ふぅ…」とも思いつつ、老母に「行ってくる。」と告げ、玄関を開ける。背中から「パン…ひる、ちゃんとしたものを食べなよ。」の声が聞こえてくる。

田んぼの中の一本道を通って仕事場へ向かう。脇に広がる田んぼはまだ茶色。ぼんやり目を向けると、たたずんでいる真っ白な鳥が一羽、目に飛び込んできた。と、その瞬間、足元の黄色や紫の花に気が付く。「昨日も咲いていたっけ?」、覚えていない。

仕事場に着く。薄暗い。警備を解除し、踊り場でタバコを一服。アパートだと、隣人がわざわざ大きな音をたてて窓を閉める。いつの頃からか、仕事場でタバコを飲むことが多くなった。メダカに餌をやり、靴下をはき、半ズボンから長ズボンにはき替える。椅子に腰を下ろし、パソコンをのぞき込む。数えきれないメール。迷惑メールを削除しつつ、知り合いからのメールに目を通す。と、「あぁ」と気がつき、電気をつける。まだ誰も来ない。

小楠
 
 

2016年4月7日木曜日

ピョン吉

 小学生の頃、実家の裏に高校があり、グラウンドの隅にあった高跳び用のクッションでピョンピョン飛び跳ねるのが大好きでした。ふかふかのクッションに詰まっていた堅めのスポンジの臭いを今でも覚えています。 そして、すっかりおじさんになってしまった私が、またまた『ピョン』ピョンと、それも『吉』田町にある自宅の庭で跳ね回るとは夢にも思っていませんでした・・・。

 先日、新築後10年間、ほぼ使っていなかったウッドデッキの一部を自分で取り外し、直径4メートルのトランポリンを置きました。

 きっかけは、トランポリンの指導員をしている知人に連れられて、体育館で競技用のトランポリンを体験した時のこと。選手のかたが高く高く跳び、宙返りや開脚などを繰り返しています。
 「あそこまでは跳べないと思うけど、真上に跳びあがるだけなら簡単だろう。」
 自分の番になって勢いよくジャンプ。 
 「あれ?思ったより上がらない・・。」 
 姿勢を崩して着地に失敗。あわや自分の膝で自分の顎を強打するところでした・・。

 それでも練習を繰り返すうちに姿勢が安定して、あたりを見回す余裕が出てきました。
 「楽しい!」 
 そして、小学生の頃の記憶がよみがえったのです。

 それからは、週に一度、子供たちを連れて体育館でトランポリンの練習をしているのですが、どうせなら自宅でも跳びたい・・・。子どもではなく、私が思ってしまい、妻の反対を押し切って広くない庭になんとかトランポリンを置いた次第です。

 現在、暇さえあれば、子ども達が跳んでおり、前方宙返りの練習を繰り返しています。春休みには連日のように子どもの友達が押し寄せ、順番を競ってピョンピョンと飛び跳ねていました。
 ジャンプを繰り返すことは健康維持にとてもよいとのこと。みなさんもトランポリン体験をしてはいかがでしょうか。


 さてさて、このトランポリン。高く跳ぶためには、どうしたらよいでしょう?
 風船に、上からぐにゃぐにゃの棒を落としても、あまり跳ね返りませんが、鉛筆を(先がとがってないものですよ)落としたらピヨーンと跳ね返ります。
 高く跳ぶためには、反発力を分散させないため、体全体を1本の棒のように真っ直ぐにしなければなりません。そのためには、いわゆる体幹を鍛えることが必要です。
 大きな成果を得るためには、しっかりとした基礎や土台が不可欠、というところでしょうか。”ふらっと”でいえば、まずは傾聴力を身につけるということになりそうです。
 ロールプレイを繰り返して、調停人としての基礎作りをイチからやり直さねば、、、、、自戒。

増田