2012年1月17日火曜日

そなたは善き人か?・・・・映画評論家風に・・・

2006年のドイツ映画「善き人のためのソナタ」を観た。1989年にベルリンの壁が崩壊する前、強固な共産主義体制の1984年の旧東ドイツの監視社会の実像を描いたものである。
旧東ドイツは、国家保安省(シュタージ)によって、国民の思想活動を厳重に監視していた。シュタージの有能な局員である主人公は、国家に忠誠を誓い、反体制の疑いのある人物を尋問によりいかに白状させるかをいう職務を日々行っていた。
 ある日、彼は、反体制の疑いのある劇作家を監視するように命令される。劇作家と同棲している美しい女優の住居には盗聴器が仕掛けられ、昼夜を通して監視が続けられた。監視を続けていく内に主人公の心に変化が生じていく。戸惑いながら心の変化を受け止めていく主人公の姿に、思わず引き込まれていく。物語は、淡々と進んでいく。
 監視をする主人公と 監視をされている劇作家との間には、直接の接触や会話は一切ない。がしかし、後に二人の間には通じ合うものが生じることになる。それぞれの人生の物語の中に、お互いの存在がひっそりと生きている。
 この映画では、1曲のピアノの調べと 一つのメッセージが印象的だ。
 私たちは、自由に考え行動し会話をすることができる。その自由が奪われた極限の状況の中でさえも、言葉によらず他者と通じ合うこと、心の自由を求めることをあきらめない
人びとが歴史の中に存在したことを、この映画は静かに語りかけてくれる。
 私はこの映画を見終わった後、とても安らかな気持ちになった。自由をより謳歌出来る時代に生きていて、私らしく生きることが出来ることをかみしめたからかもしれない。そして、言葉で通じ合うことをもっともっと大切にしたいと思った。
                                    御 室

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