2020年3月6日金曜日

家族

先日、母から突然、「小さい時、寂しかったりしたことはないか」と尋ねられた。
あまりに突然だったので、どうしてそんなことを聞くのかと問い返してみると意外な答えが返ってきた。

最近、私の妹が職場の研修等で教育について学ぶ機会があり、それ以降どのようにして今の彼女が形成されたのか考えるようになったという。
そうして、彼女自身が幼少期にずっと「寂しさ」を感じていたことを思い返し、それが今の自身の人格形成に大きく影響しているのではないかという考えに至った、という話を、母が妹から聞いたのだという。
確かに、私の家庭は当時まだそれほど多くない完全な共働きの家庭で、私と妹は祖父母に面倒を見てもらいながら成長した。特に妹は祖父母にべったりという感じだったように思う。
私は、私よりも祖父母に可愛がられている妹を少し羨ましく思っていたほどだったが、両親との関係でいえば、確かに私よりも妹の方が父や母に関わることは少なかったかもしれない。
まさか、それを妹が寂しいと感じていたとは、考えもしないことだった。

母は、私に対し、同じように寂しい思いをさせていたなら申し訳なく思うと謝ったが、私から見れば、当時、父よりも忙しく仕事をしていて家を空けることも多く、家庭の中で最も孤独に見えたのは母だった。実際のところ、母自身はそうでもなかったようだが。
それを聞いた母は「こんなにみんな思っていることが違うとは思わなかった」と興味深げにしていたが、私もこのことがなければ、彼女らの思いを知ることは一生なかっただろう。

同じ家に住んでいても、血がつながっていても、みんな考えることはばらばらで、分かったつもりになっていても、話してみないと分からないことはたくさんある。
そういうものの積み重ねがいつか、離婚や相続争いなどの紛争の火種になるのかもしれない。
言葉にして思いを伝えることの重要性を改めて感じた出来事だった。

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