2010年5月6日木曜日

頭にきた・・さて・・そのときは。

山田です。GWも終わり,また今日から仕事ですね。さて,皆さんは,他人と言い争いになったとき,カチンときたとき,どうしていますか??

「その言い方はなんだ!オマエだって,***じゃないかっ!」なんて,すぐさま応戦すれば,最初はつまらないことでも,次第に大きな紛争につながっていくのだから不思議です。


実際に受任する事件でも,自分自身のことでも,「あのときに感情を沈めれば,こんな争いにならなかったのに」と思うケースは少なくありません。

そうすると,怒りを鎮める方法を身につけることは,紛争の発生を抑止することにつながるんじゃないかと最近改めて考えるようになりました。


怒りがわいてくると,身体中にワアーとエネルギーが発生するのがわかります。
客観的にいえば,このエネルギーをどこかに処理してしまえば,怒りは収まるということになります。

怒りの発散方法として,① エネルギーを外に放出する(物にあたる),② 水を浴びるなどして文字通り冷やす,③ 風呂に入ったり,音楽を聴いたり,ヘンテコなイラストを描くなど,他のことに没頭することで怒りをいつのまにか消滅させる,④人はなぜ怒りを覚えるのか,などと哲学的な思考を展開し,論理的に怒りを消却させる,なんていうことが考えられます。

我が家では,①は禁止行為として規定されています。これは結局,紛争を引き起こすし,周りが迷惑だからです。違反行為に対しては,奉仕作業等に従事するなどのペナルティがあり,押し並べてこれを行うものはいなくなりました。 ②は冬は寒くて,かえってイライラするので私はしません,④を試みたことはありますが,所詮私レベルでは無理な話でした。したがって,私が実践しているのは③です。

何か,良い方法が他にもあったら是非,教えてくださいね。

2010年4月23日金曜日

自転車と私

 初めまして。調停人候補者の本木敦です。


 私は浜松市北部に住んでいます。事務所は浜松駅の近くであり、家からの距離は約10キロメートル程度です。私は、この距離を自転車で通っています。私は、どちらかと言えば、自転車が好きな部類に入ると思います。もっとも、自転車のパーツを自分で交換したり、改造?するような技術はありません。パンクが直せる程度です。しかし、私にとって自転車は、幼稚園のころから身近な存在で、自転車をこいで遠くに行くことが好きでした。高校時代、受験勉強に煮詰まって浜名湖を一週したことは数え切れません。その自転車好きが講じて、学生時代には札幌市から浜松市まで自転車で走破したこともあります。


 学生時代、陸上部に所属した私としては、自転車はただ前に進む道具ではありません。前提として、速く移動するためのマシンです。事務所までの距離も日々時間を計り、ベストタイムを更新することを目論んでいます。もちろん交通法規遵守のうえのことですが。


 毎朝、私が自転車にまたがると、スポンジが水を吸収するように、私の血も全身を駆けめぐります。アドレナリン大放出です。そして、少し進むと自転車の状態がよく分かります。そこに言葉を介在しなくとも、多くの情報を自転車は私に教えてくれます。タイヤの空気圧、チェーンの油などじっくり見なくとも、二三こぎすればだいたいのことは分かります。その後、私は自転車のハンドルを強く握り「今日も頼むぞ」と念じ、力強く自転車をこぎはじめます。それに応えるように自転車と私は、速度を上げていくことになります。


 事務所までの道中には、この信号を青になった直後に超えたら、次の信号を青で通過するためには全速力で駆け抜けなければならない、といったポイントがあります。10キロメートルの行程には、そういうポイントがいくつか存在します。逆に、信号が黄色になったときなどは、速くこいでもゆっくりこいでも止まることにはかわりがないので、休憩に充てることになります。休憩と全速力をうまく組み合わせていくと、自動車で移動するよりも速くなります。


 私は、自転車から見える情報を整理し、判断します。それを自転車に伝え、自転車はそれに応えて、前進したり、曲がったり、停止したりします。しかし、私から自転車へと一方通行が行われているわけではありません。自転車が私に伝えてくれる情報(タイヤの空気圧、チェーンの油など)がなければ、私は安心して自転車をこぐことができません。自転車と私には、言葉を介さずとも、十分な対話があると思います。


 今朝もこのような時間を経て、仕事を始めました。残念ながらベストタイムはでませんでした。

2010年4月18日日曜日

ちょっとした幸せ

 先日、子供が通う保育園の総会に出席したときのこと。



 みなさんの関心事は、ズバリ、「次年度の役員選考について」。

 1グループ10名ほどに分かれ、その中から次年度役員を1名決めるのですが、皆役員になることを嫌うので、場が少し険悪な雰囲気になるときがあります・・。



 私のグループは、アミダくじで役員を決めることになりました。

 「役員になったら、どうしよう~」 「最悪だよね~」 「私、無理~」

 あちこちから、つぶやきが聞こえてきます・・・



 くじ引きの結果、総会に欠席していた日系ブラジル人のお母さんが当選しました。通常ならば、欠席していた人でも例外なく役員となります。出席者のみなさんは、自分が当たらなかったことで皆一様にホッとしていましたが、一人のお母さんがポツリ。

 「でも、〇〇ちゃんのお母さん、まだ日本に来たばかりだよ。」

 

 一瞬、場が凍りつきましたが、少しの間を置いて、

 「日本語、大丈夫かなあ」「役員、大変じゃない?」「まず、日本に慣れることからでしょ」「そうだよね。」「「うん、うん。」「もう一回、くじで決めようか。」「賛成~」

 グループのメンバー全員が発言し、同意して、再度くじ引きをしました。



 その結果、出席していたお母さんが当選しました。

 他のお母さんが口々に、

 「私たちも手伝うから、心配しないで」「みんなで協力して1年、やっていこうよ」

 と声を掛け、選ばれたお母さんも、イヤな顔一つせず、ニッコリと役員を引き受けました。



 最初のくじ引きまではギスギスした雰囲気で一杯の会場でしたが、終わってみれば、みんな穏やかに談笑しています。みんなで話し合いの末、日本の生活に不慣れであろう母さんを想い、心配する気持ちをグループ内で共有したことが、この和やかな空間を作ったんだなあと、ちょっぴり幸せな気分になりました。 

 増田でした。

2010年4月8日木曜日

話し合いは自然体で・・・


 初めまして。調停人候補者の古橋清二です。最近、私は農作業にはまっています。農作業を初めて半年ぐらいになりますが、以来、天候や気温、気圧配置などが気になって仕方ありません。
 それはともあれ、農作業をしていて「いいなあ」と思う点があります。まず、気分をリフレッシュすることができるということです。普段は、登記のこと、裁判のことなどをあれこれ考え、事務所内は法律用語が飛び交い、相談に訪れる方とお話しする内容も、一般的には日常的ではないような話を真剣な顔で議論し、夕方にはぐったりと疲れ果ててしまうのですが、農作業をしているとそうした日常をすっかり忘れることができるのです。そして、また、明日からの活力を得ることができるのです。
 次に「いいなあ」と思う点は、道行く人たちと、「えんどうが伸びたねえ」、「じゃがいもの芽が出たねえ」というたわいもない挨拶から始まり、まったく利害関係のない会話を楽しむことができることです。たぶん、農作業をしているときは、私の顔つきも普段とは違うのではないかと思います。
 私はまだ、ふらっとのADRで調停人をした経験はありませんが、できれば農作業をしている時の感覚で、「暖かくなりましたね」というような会話から始まり、当事者の方に自由に発言していただく空間を作り出して、紛争解決の場を作ってみたいと思います。(写真は、こぼれ種から発芽した小松菜です)

2010年4月7日水曜日

私にとってのADR

筆者は、法律は≪権利の為の闘争≫として
対立する二当事者を前提とし事件性があって
初めて救済する形をとり事後法学が基本となっている。

しかし、これでは、紛争解決の観点からいえば
第三者である裁判所が何でもかんでも決済してもらう形になり
当事者で解決する能力が減退する。

しかも、裁判の形式が対立する二当事者を
前提とするのでゲーム感覚になり真実の発見に
時間がかかってしまう危険性がある。

吾人は、予防法学をもって紛争を未然に防ぐをもって
良しとし当事者間で話し合いで自主的に解決することを
潔しとしそれを理想としている。

ADRは、その点裁判外で紛争解決しようとし、
自主的に問題解決をすることのサポートをしていくもので
その趣旨には賛同できる。今後の成り行きを見守りたい。

調停人候補者  藤曲吉久

2010年4月1日木曜日

人には背景がある。

副センター長の名波です。


先日、ふらっとADR研修会が開催されました。

その様子は、芝事務長のブログをご覧ください。

http://blog.livedoor.jp/koichaaisu/archives/1261635.html


私は、この研修会に、毎年、事務方として参加しているのですが、

その度に新たな気づきを得ます。


今回も、研修の内容はすばらしく、いろいろな気づきを得たわけですが、

数日たっても残る違和感みないなものがありました。


話しの整理をするということについてです。


調停人は当事者の話しを整理する一つの手法としてホワイトボードを

使うことがあります。

タイミングを間違わなければその手法は非常に有効です。

タイミングと共に重要なのが何を整理するかです。

過去の事実だけを整理するために使うとかえってこじれることがあります。

タイミングと何を整理するかの両方が重要となります。


話しの整理も重要なのですが、それだけでは何かが足りない。

研修が終わった後も、それは何だろうとずっと考えていました。


数日前に、あることを思いだしました。


合意に至った案件を担当した調停人が大切にしていた

「人の背景」です。


人には背景がある。


つまり、人の思いには、人それぞれの環境だとか、人生だとか、

いろいろな事情や背景があり、紛争の中に現れているのは、

その一部でしかないということです。


調停人は、当事者の発する言葉や様子からその人の「背景」を

感じることができたとき、はじめて「場」を支えたと言えるのではないか?


分かっている方にとっては、当たり前なのかもしれもせんが、

私にとっては、一番の収穫でした。


来年も新たな気づきを求めて、研修会に参加したいと思います。

2010年3月25日木曜日

話し合いの余地なし

滞納家賃が何十万円もたまってしまい、家主さんが借主一家を追い出す場面に立ち会った。
「明渡しの強制執行」と呼ばれるものだ。
朝10時、執行官、引っ越し業者5~6名と4トントラック1台、鍵屋さん、大家さん夫婦と私が、田舎町の閑静な住宅街に集まる。そのものものしさに、ご近所の皆さんも遠巻きに様子を伺っている。
1か月前に通告された退去命令を無視し、家の中には、ご主人、奥さん、成人前後の娘と、黒猫が1匹残っていた。
玄関先で大家さんに土下座をして許しを乞うご主人を尻目に、定刻、執行官の説明が始まる。
途端に崩れ落ちる奥さん。呼吸が荒く、震えが止まらない様子。
娘が救急車を呼ぶ。サイレンが近づき、奥さんと付き添いの娘を連れ去るまでの約20分間の中断の後、執行官の合図で強制執行が始まる。
引っ越し業者は手際良く荷物を運び出し、鍵屋さんは慣れた手つきで玄関ドアのカギ交換を行う。
1時間ほどで作業は終了。
家の中に残されたのは、不要物の山と猫1匹だった。

ともすれば情に流されてもおかしくない状況の中、大家さん夫婦は、冷静にご自分の権利の実現に終始していた。
話し合いとは対極な半日。これも私たちの仕事なのだ。