2015年12月30日水曜日

相続に関する司法書士の業務


 

司法書士は、相続に関する様々な業務を取り扱っています。

中でも最も多い依頼は、不動産の所有者が亡くなられたことをきっかけに、その相続人への名義変更、すなわち相続による所有権移転登記の依頼ですが、司法書士の相続に関する業務は、それだけではありません。

遺産の分割について当事者間で合意できない場合の調停申立書の作成、また、自筆証書遺言が作成されていた場合の検認申立書の作成、あるいは、相続人が多額の借金を相続してしまうことを回避するための相続放棄申述書の作成、そして、相続人に該当する方がいない場合には、相続財産管理人の選任申立書を作成したり、また、裁判所から選任されて相続財産管理人に就任することもあります。

人の死という最後の場面において、遺された相続人や財産に関して利害関係を有する方のために、司法書士ができることは、多数あるのです。

近年は、「終活」などという言葉も流行っていますが、高齢者が自分の死を目前にして、エンディングノートを作成したり、また、相続人間で紛争にならないように遺言書を作成する方が増えているように思います。

互いが生きていれば、相手が思っていること、考えていることがよく理解できなくても、相手方に「どう考えているの?」などと質問して確認することができますが、故人がどのような考えを持っていたのかは、故人が亡くなってしまった後では、直接聞いて確認する術はありません。

だからこそ、遺された人に伝えたい思いがあるのなら、エンディングノートでも、遺言書でも、手紙でも、ビデオレターでもどんな形でもいいから、伝えたい思いを残してあげてください。

ただし、相続財産の分配方法を確実に指定して置きたいなら、遺言書を作成して置く必要があります。

毎年、2月は「相続登記お済ですか月間」として、県内各地の特設会場と各司法書士事務所で、相続登記についての無料相談が開催されていますので、是非ご相談ください。詳しくは司法書士会のホームページをご覧いただくか、司法書士会事務局へ直接お問い合わせください。

 

井上史人

2015年12月18日金曜日

司法書士の専門性は・・・???

 センター長の小澤です。
 少々かたい話で申し訳ありません。
 私は、現在、日本司法書士会連合会の常任理事として、ADRの推進も担当させていただいております。
 そして、全国のADRセンターの担当者の皆様とさまざまな議論をさせていただいております。
 その一つが、司法書士の専門性です。
 つまり、この静岡県司法書士会調停センター「ふらっと」のように司法書士会が主催するセンターにおいては、司法書士の専門性を活かすことが利用者の皆様にとっても良いことは間違いなわけでして、その専門性をどんなものと考えていくべきか・・・という議論であります。
 司法書士には、さまざまな専門性があります。
 不動産登記や商業登記はもちろん、裁判業務や財産管理業務などなど。
 これらの専門性の中から、どの分野に特化していくのがいいのか?ということであります。
全国の皆様からは、さまざまな意見が出ます。
 現時点で多くの意見と思われるのは、「遺産分割による不動産登記」であります。
つまり、なんらかの理由により、相続人間の協議が整わない事件について、司法書士による調停人がそれを解決に導く・・というものです。
 しかし、これにはいくつかのハードルがあります。
 現在、「ふらっと」では、そもそも遺産分割事件が法律上取り扱えないことになっているからです。
全国の多くの司法書士調停センターも同様のハードルをかかえています。
 一方、言うまでもありませんが、利用者のニーズが第一でありますから、いくら司法書士に専門性があったとしてもニーズがなければ意味はありません。
 その点をしっかり認識したうえで、引き続き、議論を重ねていきたいと考えています。

2015年12月17日木曜日

長すぎる前説

私はそれほど話好きな方ではなく、気を使う必要のない人と一緒にいるときは何時間でも黙っていられる方ですが、それでもふと思いついたり思い出したりしたことを話すことはあります。たいしたことではないにしても、とにかくなにか言いたいことを思いついて話し出すわけですが、その「言いたいこと」にたどり着くまでに時間がかかりすぎるとよく夫に言われます。つまり話好きではないといいながら、話し出すと延々と話すことになってしまうのです。そして恐ろしいことに「言いたかったこと」にたどり着く前に何を言いたかったのか忘れてしまうことがあります。これが家族以外の人と話しているときであるとかなり親しい人であっても気まずい思いをします。(認知症の前兆ではないかと不安になることもありますが、何年も前からそうだったんだからと大丈夫だろうというおかしな理屈で自分をなぐさめています)少し後になってから何を言いたかったのか思い出しますが、その時にはもうそれを話すタイミングあるいは気力が失せてしまっていたりします。そういうときにきっちり「言いたいこと」を話し終える根性があるかどうかが、話好きな人間とそうでない人間の違いかな・・
などとのんきに考えていないで、フラットの勉強会でコミュニケーション能力の向上に努めなければ‼
(田ノ上美津子)
  

2015年12月10日木曜日

一輪車

先日、久々に一輪車に乗る機会がありました。いや~、実に何年ぶりでしょう。いやいや、何十年ぶりでしょう。乗れるかどうか不安でしたが、昔取った杵柄というのはすごいものですね。スーッと走り出しました。


一輪車が流行ったのはおてんば娘だった小学生の頃で、当時は朝から晩までこの一輪車に乗って出かけていました。一度乗れるようになれば大したことはないのですが、乗れるようになるまでの苦労は一入で、今でも鮮明に覚えています。


壁のフェンスにしがみつきながらサドルに腰かけ、やっとの思いでペダルを一漕ぎ。するとバランスを崩して地に足がついてしまう。フェンスの三本先に手を伸ばし、勢いに乗ってそこに辿りつく。次は五本先、その次は七本先。目標のフェンスの距離を徐々に伸ばし、身体中の感覚を研ぎ澄ませバランス感覚を身につけていく。そして・・・一輪のタイヤの上に絶妙なバランスを保てるようになったとき、スーッと走り出したのです。


このバランスの掴み方と走り出しって、何かと似ていると思いませんか。私は懐かしの一輪車で風を切りながら、話し合いの場を思い描いていました。当事者の絶妙なパワーバランスと空気感、そして想いのキャッチボールへ繋がる瞬間を皆さんも味わってみませんか。


見城美妃





2015年12月3日木曜日

ヒゲンゴ


非言語コミュニケーション。 

調停人は、当事者の発言以外にも、表情や仕草、醸し出す雰囲気などをよく読み取って、「こうは言っているけど、実際はどのように感じているのかな?」ということを考えたりしています。非言語の部分をまったく考慮しなかったら、きっと上っ面の理解だけで終わってしまいます。 

非言語コミュニケーションは、日常生活でも随所で重要な役割を果たしていますね。


例えば、赤ちゃん。

うちの生後2か月の赤ちゃんは、まさに非言語コミュニケーションのかたまりです。言葉を使わずに、火のついたものや、甘えたものなど、数種類の泣き声を使い分け、時には顔を赤くしたり、手足をばたつかせたりして、その感情を表現します。 

毎日その様子を見ているお母さん(妻)も、僕にはわからない微妙な泣き声の差異を感じ取ります。非言語コミュニケーションの上級者です。 

ついでに言うと、来週5歳になる上の子も、赤ちゃんを可愛く思う気持ちと、注目を奪われて疎ましい気持ちがないまぜになって、非言語でややこしい気持ちを表現してきます。いきなり蹴られたりします。 

うちではいま、非言語コミュニケーションが公用語となっています。
 

例えば、麻雀。 

当然、自分の手を相手に読まれてはいけませんし、逆に、相手の手を読まないといけません。ここでも、非言語が重要になってきます。 

普段饒舌なのに急に無口になったり、普段人の捨て牌を全然気にしていないのに、ある時だけ妙に注意深くなっていたりすれば、テンパイしてるのかな?と思われます。あ、僕のことです。 

上級者と対局すると、ひとつ捨てる毎に、自分の牌の並べ方の癖や、捨てる時の癖、狙う手の癖など、どんどん裸にされていく感覚があり、怖ろしいものです。目に見えない無言のプレッシャーを感じ、ガタガタになります。 

雀荘は、非言語コミュニケーションのトレーニング会場なのです。
 

あなたが気になる非言語コミュニケーションは、なんですか? 

ぜひ、非言語で教えてください。
(青野 雅之)
 
 
 

2015年11月24日火曜日

30キロの壁


私の趣味はランニングである。秋から冬にかけてはマラソンシーズン到来である。

1025日に「しまだ大井川マラソンinリバティー」出場したが、またしても失敗レースであった。

マラソンのレース中は、自分の体との対話を続けて体の調子・疲労の具合をみつつ、ラップタイムをチェックして予想ゴールタイムを計算しながら走っている。

マラソンには30キロの壁があるとよくいわれる。ランナーは30キロ過ぎに急に走れなくなることがある。マラソンの場合、息が苦しくなって走れなくなるのではなく、体内のエネルギーの欠乏、筋肉の疲労などにより体が動かなくなり走れなくなるのである。30キロの壁は、エリートランナーだけではなく、市民ランナーにも起こるのである。

これを克服するため常に自分の体と対話をして、エネルギーの欠乏や筋肉の疲労を抑えるようスピードをコントロールしたり、水分補給や食料補給をしたりしながら走るのであるが、これがなかなかうまくいかない。

エリートランナーは、カーボローディング(体内にエネルギーのもとになるグリコーゲンを溜め込む)とスペシャルドリンクにより、23時間で42.195キロを駆け抜けるので食料補給などはしない。高橋尚子がバナナを食べながら走っているところなど見たこともない。

ところが、我々市民ランナーはゴールまで45時間を要するので、水分と食料の補給をして体を維持しないともたないのである。

体の状態はその日の天候や体調、精神状態などにより刻一刻と変化するので、体の状況を冷静に判断するのは難しく失敗レースが多くなってしまうのである。その最大の原因は心の問題である。レース当日は、どうしても興奮状態にあり、多少のハイペースも気にならず走れてしまうのである。そして、自分の体調が良いのではないか、トレーニングにより走力が強化されたと錯覚してそのまま走ってしまうのであるが、30キロくらいになると、体は正直で壁にぶつかることになる。

皆さんは、そんなことはわかっているのだから、セーブして走ればとお思いでしょうが、セーブして走ろうと思っていてもレース当日は、いろんな思いが頭の中で交錯してうまくいかないのである。特にシーズン初めのレースでは、その傾向が強くなる。

常に自分の体と心をコントロールして、状況を冷静に分析することが何事にも大切なのである。わかっちゃいるけどそれができない市民ランナーの独り言でした。

宮内豊文

2015年11月17日火曜日

よかれと思って


幼かったころ、祖母がお土産でハンバーガーを買ってくることがありました。そんな時、私は大いに喜び、包装紙に残ったソースまですすって食べたものです。40歳をとうに過ぎた今でも、その大手チェーンのハンバーガーは、私にとってごちそうで、誕生日にはつい食べてしまいます。

 

そんな私、学生時代にそのハンバーガー屋さんでアルバイトをしていました。アルバイト初日、先輩店員が開口一番私にいったことは今でも忘れません。

「うちはファーストフードじゃないから。時間がかかっても美味いものを出せ。」

 

 学生時代、概ね腹を空かせていた私は、美味しいものに加えて、「お客さんはボリュームのあるものを喜ぶだろう」と考え、トッピングやソースなど、規定の量を上回るハンバーガーを自主的に提供していました。

 

 ある日、バイク野郎の先輩アルバイトと二人で店番をしていたとき、まだすこしぎこちない感じのアベックが来店しました。注文を受け、私はいつもの感じで大量のレタスを挟んだテリヤキバーガーを作りました。それをかごに載せ、アベックのもとに運ぼうとしたとき、一緒に働いていたバイク野郎が私を制止しながらこう言いました。

「おめぇ、そんなデカいテリ、どうすんだ!あのコが彼の前でデカい口を開けられると思ってんのか?かわいそうだろ!」

 当時の私は、食事について「量が多い=Best」と考えていました。しかし、万人がそうではない、いやそうではないときがある、二十歳前後の私はそんなことを学びました。爆音鳴らして深夜の街を疾走するバイク野郎から。
 
(小楠展央)