家族経営でほそぼそと商売を営んでいた一家のこと。
父親は資金繰りに追われる毎日。
いずれ「2代目を」と考える長男は、父親の保証人を買って出た。
数年後、商売は行き詰まる。破産手続のため、彼は裁判官との面接(「審尋」という)に呼び出されていた。
若い裁判官は彼に対し、「払えない金額を何で保証なんかしたのか?」と罵倒した。
実話である。
みなさんはどう感じるだろうか?
経営者にとって、事業は「命」そのものだ。。
日々、命をかけて資金をつなぐ父親を目の当たりにし、共に生計の糧を産み出していた彼には、「保証を断る」という選択肢は想像すらできなかったのではなかろうか?
これが、零細事業の現場なのだ。
「勉強ばかりで世間知らず・・・」
裁判官への批判の言葉としてしばしば取り上げられてきた。残念ながら、一部にはまったく的外れな指摘でないように感じる。
批判の対象となった裁判官にとって、生の紛争は、机上の二次元の世界に押し込められたままだったのか?
「紛争を裁いて解決する」 「紛争を解決に誘(いざな)う」
手法は違えど、紛争当事者の真ん中に立つのは、裁判もADRも同じことだ。
生の紛争には、紛争に関わる人間がいる。その人間が過ごす日常がある。その日常を取り巻く社会環境がある。
当事者が語る言葉から、バーチャルな社会を構築し、当事者の日常を想像し、そこに過ごす人間に思いを巡らすと、机上の紛争は三次元へと昇華し、当事者の言葉に響きが増す。
やはり、私たちのADRも、「勉強ばかり・・・」 では社会に受け入れられないのだ。
運営委員 中里 功
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