2018年7月9日月曜日

神様と仏様

以前、私は、静岡県焼津市生まれの焼津市育ちであることから、地元の焼津神社で祀られている倭建命(焼津神社では「日本武尊」と称しています。)に深い興味を抱き育ったと記させて頂きました。
そのような中、いろいろな資料をっていたところ、古くから日本人は神様仏様融合させていたことを知りました。よくたちは、「神様仏様、助けて下さい」と祈ったり、「神も仏もないのか」と嘆き苦しんだりしますよね。また、結婚式は神前で、葬式は仏前で執り行うことが当然のことのようになっています。私たちは、人を救ってくれる存在として神様と仏様を何となくまとめて捉えて表現しているわけです。このような外来の信仰や思想を何の抵抗もなく自らの文化の一部にしてしまう感性は、他国にも見られるものの日本人は特に顕著なようです。
その日本人の感性を理論的にまとめた本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)と云う考え方を見つけました。これは、神道と仏教を両立させるために、奈良時代から始まった神仏習合を理論付けし、整合性を持たせた考え方と云うことで、平安時代に成立したとされています。この考え方で云うと、日本の土着の神々は、実は様々な仏尊(如来や菩薩など)の化身であるとのことです。つまり、真の姿は仏なのだが、日本人に分かり易いように仮の姿で現れたということだそうで、これを「権現」と称するのだそうです。
例えば、有名な八幡様(八幡大権現)は、阿弥陀如来の権現であり、天照大御神は大日如来、須佐乃男命は牛頭天王(ごずてんのう)であるとされています。
仏教は世界三大宗教の一つであり、伝わった先々の国で土着の信仰と融合し、独特な神の観念を醸成してグローバルな広がりを果たしてきたことは否めないのですが、日本では特に、日本人固有の感性と相俟って、独自の宗教観がより強く惹起されたようです。これは、日本人が誇れる優れた感性であり、文化であったと評されていました。
(早川清人

0 件のコメント:

コメントを投稿