2019年6月20日木曜日

三貴子

【古事記から】
 天武天皇の命で舎人の稗田阿礼(ひだのあれい)が作成を始め、その後、太安万侶(おおのやすまろ)が完成させたとされる「古事記」は、同時期に編纂された歴史書「日本書紀」とは違い、古事記は物語として書かれているところが興味深く、楽しめる内容となっています。また、その中の記述からお話しさせて頂きます。
 今回は、「三貴子」についてです。「三貴子」とは、日本神話における最高神たる天照大御神、月読命、建速須佐之男命のことを云います。
 以前お話しした国を造った夫婦神「伊邪那岐(イザナキ)」と「伊邪那美(イザナミ)」の続きになりますが、夫伊邪那岐は、火の神を生んで大きな火傷を負い命を落とした妻伊邪那美を追って黄泉の国へ下るも、醜く変貌した伊邪那美に驚愕し一目散にその場を逃げ出した後、ようやく逃げおおせた伊邪那岐は、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原(ツクシノヒムカノタチバナノオドノアワキハラ)という場所で禊ぎをしました。禊ぎとは、その身に罪又は穢れがあるときや、重要な神事を行う前などに、川や海で身体を洗い清めることです。伊邪那岐は、禊ぎをするために、身に着けていたものを投げ捨てると、そこから次々に神々が生まれ、また、身体を洗いながらも多くの神々が生まれました。そして、禊ぎの最後に、左の目を洗うと天照大御神(アマテラスオオミノカミ)が、右目を洗うと月読命(ツクヨミノミコト)が、鼻を洗ったときに建速須佐之男命(タテハヤノスサノウノミコト)の高貴な三神が誕生したのです。これを喜んだ伊邪那岐は、天照大御神に高天原を、月読命には夜之食国を、そして、建速須佐之男命には海原をそれぞれ治めさせることにしたとのことです。
 皆様ご存知のとおり、天皇家は天照大御神の末裔とされています。
(早川清人)

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